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◆ヴァイキングの葬式

ヨールンはホスクルドの葬式に自ら殉死の道を選びましたが、ヴァイキングの時代には、そのような風習がありました。
高貴な生まれの男性が死ぬと、妻あるいは女奴隷が、自ら進んで自分自身を犠牲として捧げたそうです。火葬は主に船中で行われ、死者を焼く火葬の煙が高く上がれば上がるほど、ヴァルハラでの名誉が高くなると信じられていました。
西暦921年頃のロシアで、アラビアの外交官イブン・ファドランが、ヴォルガにあるヴァーレグ人(スウェーデン系ノルマン)の首領の葬式の様子を目撃した話が伝わっています。


葬式は財産に応じた大きさの船で火葬にされるが、火葬の前に死者は10日間墓に葬られ、その間に死者のための衣服を裁断し縫製する。
首長が死ぬとその家族は女奴隷・下男達にこう尋ねた。
『お前達のうち誰が首長様と共に死ぬことを欲するか?』
すると1人が『私が』と答えるが、それはたいがい女奴隷で、いちど口に出したら二度と引き下がることはできない。首長が墓に葬られ、衣服が縫われている間、殉死する奴隷は他の奴隷に見張られ、飲み歌い、幸せであるというふりをした。

火葬が行われる朝、白樺などで作られた四本の柱が立てられ、周りには人間に似た大きな木像が建っている岸辺に、船がひきよせられる。船の上にベンチがしつらえられ、布団とギリシア絹の錦布と同じ布製の枕をのせる。
「死の使者」と呼ばれる陰湿な感じの太った老婆が現れる。彼女の役目は死装束を準備し、殉死する奴隷を殺すことであった。死者は墓から運び出され、着ていた服を脱がし、死装束を着せられる。死装束はズボン、上ズボン、深靴、金糸を織り込んだ布製に金ボタンが付いた上衣と外套、絹製の貂の毛皮で飾られた帽子といったいでたちである。死者は船上の幕屋に運び入れられ、枕と座布団で支えられて、ベンチの布団に寝かされた。

人々はナビド酒(強い蜂蜜酒の一種と思われる)、果物や香りのよい薬草を死者の傍らに手向ける。パン、肉、タマネギなども備えられる。
1匹の犬を2つに切り、船上にあげたあと、死者の脇にその人の武器を備えて、そのあとで2頭の馬を汗をびっしょりかくまで追い回し、剣で片々に切断してこれも船上に投げあげた。
そうした事をしている間、女奴隷は幕屋を次々に訪れ(幕屋は複数あるようである)、そこの主人と交わり、
『そなたの主に伝えよ、我はそなたに対する愛情からかく為したのであると』
と告げる。

午後になると女奴隷は木製の門のようなの台のところへつれてゆかれ、頭がその台上に出るように高くかかげられてから言った。
『私には父の顔が見える、母の顔が見える』
二度目にかかげられた時は
『兄よ、すべての私の泣き親類の顔が見える』
三度目は
『主人が美しい緑色の彼岸に坐しているのが見える。傍らには男とたちと召し使いも。主人が私を呼んでいる、今こそ私を主人のみもとに行かせ給え』
女奴隷は雌鳥を手渡され、その頭を切り落とし、鶏を船の中へ投げ入れる。

女奴隷は船につれてゆかれ、身に着けていた腕紐や足の環を外して自分を殺す役目の老婆に与えた。
船上に上がると盾と木棒を持った男たちが現れ、彼女に盃に一杯のナビド酒を渡し、女は受け取ると歌い、そして飲み干した。(この盃は友人達との別れの盃であるそうだ)
女奴隷はもう一杯ナビド酒を与えられ、飲み干すと亡き主人の幕屋へ入る。男たちは木棒で盾を打ならす。これは女奴隷の悲鳴が聞こえないようにするためであり、他の女が恐怖に襲われて、この後主人と殉死しようとする志願者がなくならないようにするためであった。

続いて六人の男が幕屋へ入り、彼女と交わる。その後で女奴隷は身体を伸ばして死者に寄り添って寝かせられ、六人の男のうち二人が両足を、二人が両手を捉え、老婆は両端を節に結んだ輪紐を女奴隷の首に巻き付け、残った二人の男がその紐を持って引いた。老女は大きな広刃の包丁を女の肋骨の間に突き立て、そして引き抜いた。奴隷が絶命するまで男たちは輪紐を引き続けた。

続いて、女奴隷の最近親の男が木切れを取り、火をつけた。火を手にこちらを向いたまま後ろ向きで船まで進み、船の下に積み上げられた薪に火をつけた。他の者たちも火を手に船に進み、薪束の上に投げ込み、船全体が火に包まれた。風が強く燃え尽きるまでに1時間もかからなかった。船のあった場所に丸い塚を築き、その頂上に白樺の大きな柱が建てられ、その上に死者の名とルス族の王の名が書き付けられた。
これで葬式は全て終わった。

これはアリアンの時代から1000年近く後のものなので、実際は違っていたのかもしれません。

この記録以外にも、夫が死ぬと妻は生きながら死者とともに焼かれたり、族長が死ぬと大きな家程の墓を作り、衣服や武器、宝飾品や食料の他、夜の伽のための妾が一緒に閉じ込められたりしました。そのような窒息死と思われる遺骸が出土しているそうです。