大洋の神リールの子。
リールとイウェリッド(=アイルランド)との間に産まれた子で、ブリテンの神話ではブラーン・マク・リールという兄弟が、さらにウェールズのマビノギオンにはブランウェンという妹がいることになっています。ブリテンではマナゥィダンと呼ばれていたようです。
ウェールスでのマナナン(マナゥィダン)は正直な農夫で靴屋でもあり、善を滅ぼす神々と戦うために、人骨でアンネス(ゴワー半島)に砦を築いたと言われています。
伝説によるとマナナンはマン島の王であり、恐ろしい魔術師でした。燃える兜と壊れることのない鎧を身につけ、姿が見えなくなるマントを持ち、マナナンの白馬は春風のように早く駆け、海も陸も駆けることができました。乗り手の意志のままに陸も海も走る舟「静波号(ウェーヴ・スイーパー)」も持っていました(後にルーグの持ち物となるようです)。
マナナンは「波立つ海を乗り行く者」で、海が騒ぐときは「マナナンの妻の髪が投げられている」といい、水夫たちはマナナンを「岬の神様」と呼んで加護を祈りました。 また「バル=フィンド(白い頭)」「バーリンド」とも呼ばれ、後にアーサー王をアヴァロンへと導いていく魔術師マーリンに変化していったという説もあります。
マン島のピール城には今でもマナナンの巨大な墓があり、車輪の軸のように放射状に伸びた3本の足が描かれた武具があることから、マナナン・マク・リールは3本足であったのかもしれません。マン島は現在イギリス王直轄属領で自治権を認められており、域旗を持っていますが、その紋章にも使われています。
「然リ--- 我ハりーるノ子 ソノ昔だーなノ子(デ・ダナーン)ラト戦イシ者 ソナタガ我ガ兄ノ呼ビカケニ答エシ者カ---?」
「冥府の王(ブラーン・マク・リール)の……! ではあなたが海の底に棲む神々(フォモーレ)---?」
「然リ---トモ言エル 否---トモ言エル」
(4巻181ページ)
アリアンの「フォモーレなのか?」という問いに「そうだとも言えるし、そうでないとも言える」と答えていますが、これは種族的にはフォモーレには含まれないが、マナナンは常若の国(ティル・ナ・ヌグ Tir-nan-Og)の王であり、神話や伝説の常若の国は、海の彼方や海の底(アリアンの言葉を借りれば「水底の国“青春の地(ティル・ナ・ヌグ)”〜4巻122ページ〜)にあることが多いためと、リールはデ・ダナーンに含まれておらず、また「海の彼方からやってきた」という伝説もないため、古くからエリンにいた神であったと、考えることもできるためではないでしょうか?
フォモーレにも海を渡って入植してきたという記録がなく、またあとから来た種族は、全てフォモーレと戦わなければならなかった事から、フォモーレとは広くエリンの先住種族を指しているとも考えられます。
「その昔デ・ダナーンと戦った」というのは、神話によると、マナナンは実際に参戦したわけではなく、邪眼のバロール(バラー)を殺すことになるルーグをかくまい育てた事によって、デ・ダナーンに協力した事を言っているのだと思われます。
あらすじはこうです。
ドルイドの予言により孫に殺されることを知っていたバロールは、妻ケフレンダとの間にできた娘のエスリンを幼いうちに塔に閉じ込め、自分以外の男には会わせないようにしていましたが、ダナー神族のディアン・ケヒトの子キァンは、バロールがいないすきに塔に忍び込み、やがてエスリンとの間に子供が生まれました。エスリンはキァンに、バロールに見つかる前に子供と一緒に逃げるように頼み、灰色の牛を一緒に託しますが、バロールに知られてしまい、キァンは海の神マナナンに助けを求めます。マナナンの小舟(コラクル)に乗り込んだ時、バロールが浜に追い付き、呪文で嵐を起こし船を沈めようとしましたが、マナナンはドルイドの呪術で嵐をしずめました。次にバロールは海を火に変え、マナナンはそれを石に変えました。こうしてキァンはバロールから無事に逃れられましたが、その見返りをマナナンが要求したため、キァンは自分にはこの息子しかない、2つに分けることはできないからどうぞ連れていってほしい、と言います。マナナンは「この子は成長するとりっぱな戦士になる」と言い、自分の王宮に連れ帰り「ドル・ドナ」(全知全能という意味)と名前をつけて育てました。この子がのちに成長してルーグとなり、予言通りにバロールを殺し、デ・ダナーンと共にフォモーレ族を倒します。そして英雄ク・ホリン(クーフーリン)の父となるのです。
マナナン・マク・リールの養子
マナナンはルーグ以外にも、神を含む何人かを養子として育てています。女神ダナーの父ダグザの子ミディール、(ずっと時代が下りますが)フィアナの騎士の一人であるディルムッド・オディナなどです。
これは貴族の子弟はある年齢に達すると、男の子は17才、女の子は14才まで、礼儀や教育を身につけるために他の貴族の家の養子となる習慣があったためで、神々も同様だったと思われます。
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