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◆イケニ族のボーディカ(ブーディッカ、ボアディケア)

「クリスタル☆ドラゴン」の時代を知る手がかりに、アレシアの戦い(紀元前52年)、ネロ皇帝(在位30年頃〜96年)、そしてイケニ族のボーディカの反乱(61年)があります。

イケニ族のボーディカ女王は実在した人物です。

歴史家ディオン・カッシオスによると、ボーディカは
「背が高く、恐ろしそうな見かけと力強い声の持ち主だった。明るい色調の赤毛がふさふさして、膝まで垂れ豪華な素材で作られた金色のネックレス(トルク)をつけていた。多彩色のローブを着て、その上にブローチで止めた厚めの外套を羽織っていた。自分を見たもの全てに恐怖感を覚えさせるために、彼女は長槍を掲げていた」

紀元59年〜60年にかけてローマ軍のブリタニア軍事総督だったスエトニウス・パウリヌスは2つの軍団をウェールズに送りました。一番激しい戦いはモナの島(アングルシー島)への急襲で、モナの島はドルイドやドルイド教の信者たちに守られた聖地でした。ローマの騎馬部隊は泳いで海を渡り、歩兵部隊は平底船でモナの島へ渡ります。ドルイドたちはケルト人戦士達を鼓舞し激しく戦いましたが、聖域は壊滅してしまいました。ローマ軍は残存しているケルト戦士を壊滅させるためにウェールズに留まっていましたが、ちょうどその時、イケニ族の反乱の報が入ってきたのでした。

イケニ族はサフォーク、ノーフォーク、ケンブリッジシャーの一帯(現在のロンドン付近)を支配していたベルガエ人の部族です。
ボーディカの夫でイケニの族長(王)プラスタグスはローマ人と外交的に同盟を結んでいましたが、彼の死後は作中にあるとおり後継者となる男子がいなかったため、イケニの一族はローマの領地に合併することにされてしまいました。ブリタニアを監督していたプロクラトル(皇帝の代官)は部族の領地を簒奪し、未亡人となったボーディカはむちで打たれ、娘たちは強姦されてしまったといいます。

この事件がきっかけで、ローマに平定されていた部族なども加わりブリテン島全域での蜂起へと発展しました。

ローマ軍がウェールズにいる間は、ケルト戦士軍側が有利に戦いを進め、正式にローマの所領となっていたコルチェスターに住んでいたローマ人たちは、ガリアへ脱出しましたが、逃げられなかったローマ人も多く、彼らは拷問され、虐殺されてしまいます。
ヴェルラミウム(セント・オールバンズ)とロンディヌム(ロンドン)が蜂起軍によって制圧され、ローマ軍側はウェールズのスエトニウス・パウリヌスを呼び戻します

リッチフィールド近くのウォトリング街道を横切る小さなアンカー川のあたりで激戦となり(コミックスにはちゃんと川が描かれています。3巻192ページ)、ケルト蜂起軍はローマ軍からジャベリン(投げ槍)の一斉投擲を2度受け、続けてローマ軍兵が突撃してきました。ケルト戦士達は後方へ押し戻され狭い山間の道にどんどん後退させられてしまいます。激しい戦闘は何時間も続き、殺戮の末イケニ族の女王ボーディカは自殺し、蜂起は失敗に終わりました。

※ボーディカの自殺は服毒の他に絞首だったという説もあります。

紀元61年、征服一辺倒だったスエトニウス・パウリヌスに代わって、ペトロニウス・トゥピリアヌスがブリタニアの新総督になると、柔軟で外交的な政策になり、大金持ちの寡頭支配による部族混乱の時代は終わりを告げました。