フィラエ島の地図
このあと3泊するクルーズ船で昼食です。
乗る船は「ナイルスタイル号」。
でも、この船は違います。
昼食は、普通の洋食ブッフェです。
飲み物は美味しかったレモンジュース。

ご飯食べたら、またバスで出発です。

これから行くイシス神殿は、かつてフィラエ島にありましたが、ダム建設で水没する運命にあったため、近くのアギルキア島に移されました。
アギルキア島は今「フィラエ島」と呼ばれていて、イシス神殿はフィラエ島にあるため、「フィラエ神殿」とも呼ばれています。
チケット売り場を過ぎると、桟橋が。
上の画像のアップ。
こんな船で渡ります。周りはゴミが結構浮いてました…
片隅にたたずんでいた、白鷺。
船出してきた桟橋です。
アスワン・ダムを渡った時に見えた町並み。
神殿が見えてきました。
到着しました。
桟橋を昇ります。
神殿とキオスクが見えます。
左に進むと、列柱が見えてきました。
右にちょこっと見えているのは第一塔門。
列柱の上部は、みんな異なってます。
この模様で、いつ頃建てられたかがわかるそうです。
手前はヤシの葉の柄。ヤシの葉の模様があるものは、時代が下ってギリシア時代に建てられたもの。奥は多分パピルス。
手前はロータス(ハス)、奥がパピルス。
ロータスは上エジプト(ヌビアに近い方)の象徴、パピルスは下エジプト(河口付近)の象徴なので、ロータスとパピルスだけの列柱の神殿は、ファラオの時代に建てられたことがわかります。
第一塔門と、右側の列柱。
右側にはホルス神とハトホル女神のレリーフ。
下の方の黒い線は、アスワンダムに浸かってしまっていた跡で、解体・移築されたのはかなり水没してしまってからだったそうです。
このあと、繋がっている絵はがきを買ったんですが、昔の水没した時の写真などもあり、それを見ると列柱部分は完全に水没し、列柱の屋根の上を観光客が歩いていました。
そのとき訪れた人は、かなりの数のレリーフを見られなかったことになりますね。
右上のレリーフの拡大。
この穴は、レリーフの柄を無視して作られているので、後世に作られたことは確かなんですが、いつ、誰が、何のために作られた穴なのかは不明らしい。
左側の部分は、骨肉の争いの結果なのか、見事に削られてしまっている。
削られるのを防ぐために、深く彫ったりもしたそうだけど(このレリーフも比較的周りの彫りは深いようだ)、顔や体はディティールはわからないように削られてしまった。
第一塔門に入らずに右に行くと、トラヤヌス帝のキオスク。
上部中央のレリーフ。
レリーフが未完成のものもある。
キオスクの中からダムを眺める。
キオスクを背にダムを眺めると、水面から何か飛び出してます。
この下に、かつてイシス神殿があったフィラエ島が沈んでいるそうです。
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