陰陽夜話 第壱夜 第弐夜 第参夜 第四夜 ★

陰陽夜話

第四夜

1. 舞台鼎談(夢枕獏・宮田まゆみ<雅楽師/伶楽舎メンバー>・岡野玲子)
  テーマ:雅楽

岡野さんは薄い小豆色(オーキッドかな?赤紫の薄い色)で、裾に唐草(ペイズリーみたいな感じです)の刺繍のついたチャイナ風のブラウスに、ブラウスを濃くしたような色の小豆色(江戸紫って感じ?)のパンツ、そして黒い靴といういでたちでした。

ヘアスタイルは、「ムーミン」のミーみたいな感じで、頭の上でちょんまげのようになっていました。(本当にミーみたいでした…)宮田さんは、黒(紺かもしれません)のパンツスーツで、長い髪を一つにまとめていました。獏さんは…いつもと一緒でした(ごめんなさい^^;)

 

源博雅について

◆ 博雅は、本当に楽器がうまかったのか?

当時の殿上人たちにとって、雅楽はたしなみの一つであり、「出来て当然」のもの。そして博雅は親王の息子であるので、いわば「王子さま」。その位高貴な殿上人なので、当然雅楽には堪能であったと思われます。特に博雅は、「雅楽がうまい」ということに関しては、『ビッグネーム』なのです。

博雅が作曲したと伝えられているものは、現在笛の譜しか残されていません。

  ばんしき(盤渉)のさんげん
  そうろうこだつ(「曹娘褌脱」のこと?)※3

岡野さんによると、篳篥や笙も吹いたという記録が残っているので、篳篥・笙の曲(譜)も当然あったと思われますが、失われてしまいました。
最近、著名な作家(名前は忘れてしまいました)の、未発見の作品が発見されましたが、もしかしたら博雅の譜も、どこか(千代田区一番?と獏さん)に埋もれていて、所有者は独り占めにして楽しんでいるのかもしれません。

雅楽の譜は一子相伝で、各楽家に伝えられるのですが、平安時代には既に各楽家で違ってきてしまっていました。これは、伝える側の好みなどで、変化してしまったようです。(獏さん曰く、「伝言ゲームだって、ちゃんと伝わらないんだからね」)
博雅は、おじに当たる村上帝から、各楽家に伝わる譜を一つにまとめる、という仕事を任されました。

『伶楽舎』の音楽監督でもある、芝 祐靖先生(岡野さん曰く「現代の博雅」)によると、博雅の作曲した曲は、
「ひらめきがなくてつまらない、才能がある人なのに、どうしてあんなマニュアル通りのような曲を作ったんだろう?」
と言っておられたようですが、宮田さんの感想は、「拍子が変わっていてなかなか面白いと思う」、岡野さんは「私はメタル入っている?という感じ」でした。

昔の雅楽の譜は、今と違ってもっと見づらく、譜を見て、すぐに音楽が頭に浮かんでこないそうです。最近の譜は音を記しているのに対し、昔の譜は指で押さえる穴の名前が書いてあったり、音が書いてあったりと、まちまちでした。拍子などもとりにくく、解釈によっては違った演奏になってしまう事もあるようです。

雅楽師の宮田まゆみさんは、笙を専門としておられるので、(笛の譜しか残っていない)博雅にはあまり興味がなかったそうですが、「陰陽師」を読んでとても面白く、考えが変わった、とおっしゃっていました。

 

「music for 陰陽師」

◆ 陵王乱序

この曲には雷が入っていますが、これはトラックダウンの時に入れたもの。最初遠雷のつもりで「雷を入れて欲しい」とお願いしました。ところが、聞いてみると雷がすごく大きな音で入っていて、びっくりしてしまいました。が、雷の音が大きければ大きいほど、笛の音が引き立つ(これには、宮田さんも同意されていました)。
「これ以上は、一般家庭のオーディオで聴くのは無理です」というところまで雷を大きくしてもらい、雷と一緒に入っていた雨の音は消してもらいました。

◆ 息の音は消さずに、リバーブをかける

通常は、息の音は消す事が多いそうですが(特に洋楽など)、息継ぎの音は残して、反対に笛の音を消してもらい、奏者のそばで聞いているような臨場感や、緊張感を出すようしました。

◆ 酒飲

平安時代、雅楽を演奏するときは、楽人は野外で地べたに座って演奏し、糸もの(弦楽器でしょうか。琵琶とか和琴かな?)と呼ばれる楽器は、身分の高い殿上人が奏でていたので、屋敷の縁(楽人よりも高いところ)で弾かれていました。そして、管弦が催されるのは宴。当然お酒が入ります。聴く人もこの宴の場に居て、殿上人のそばで聞いている…そんな風な演出をしたかったのです。
実際に収録の時も、この曲だけはお酒を飲みながら演奏されたそうです。岡野さんは飲めないので、少しだけ…と言っておられました。

獏さんが
「ブライアン・イーノのCDと、雅楽のCDを並べると、どうしてもイーノの方が底力に欠けるというか、ちょっと可哀想になってしまうね」
と言うのに対し、岡野さんは
「そこが彼の良いところでもあり、悪いところでもあり…。」
獏さんが「味方するねぇ」と言うと、
「私がフォローしないと、誰も味方がいなくなってしまうんですもの」

 

雅楽器

宮田さんが「陰陽夜話」に出るというので、芝先生はご自分の篳篥を貸してくれました。大事な楽器をお預かりするのは嫌なので、最初「いいです」とお断りしたのですが、「持って行きなさい」と渡されてしまいました。篳篥はすばらしい蒔絵の管箱(岡野さんが芝先生から「江戸時代のもの」と伺ったそうです)に入っていました。箱は閉じた扇のように、下が少しすぼまっていました。

宮田さん「せっかく良い楽器をお借りしたので、ここで吹いて聞かせてあげたいんですけど、岡野さんがどうしてもやめろ、というので、やめておきます」
岡野さん「篳篥を吹くと、ものすごい顔になってしまうので、宮田さんのイメージを壊さないためにも、やめた方が…」
宮田さん「(ほっぺたを両手で左右に引っ張って)こういう顔になってコミック演奏になってしまうらしいんです…」 

ここで、岡野さんが
「今日は篳篥を演奏してくれる随身を連れてきました。雅楽器も演奏できて、さらにお裁縫もできてしまうという、すごい人です。今日の衣装も、自分で縫ったんです。…麻呂や」
と、舞台の袖に呼びかけると、淡い萌葱色の地に丸い唐花の文様(「浮線(ふせん)」と言うんだそうです)の狩衣に、濃い紫の指貫姿の公達が現れました。この人は、博雅の随身「俊宏」の(多分)モデルであろう、池山俊宏さんという人で、宮田さんの変わりに「蘇合香(そこう)」と言う曲を篳篥で吹いてくれました。※4

「せっかくだから、舞台の向こうの端まで歩いて見せてあげて」という岡野さんの言葉に、ちょっと困ったような顔で舞台を横切り、くるっと回ってファッションショーをしてくれたのでした。
狩衣は、とても良く出来ていました。本職の人が縫ったみたいでした。足は足袋にぞうり、といういでたち。

このあと、岡野さんが笛を披露してくれました。(獏さんの「せっかく龍笛持ってきたんだから、吹いて欲しい」という声に会場から拍手が) 
気持ちを落ちつけるため、テーブルの上のペットボトルのお茶をカップについで、しゃがんで(何故かしゃがんで^^;)喉を潤す岡野さん。
「実は、去年(1999年)の12月26日以来、笛を手にしていなくて…。一週間特訓してきました」 

すごく緊張されていたようでした。私は学生の時、フルートを吹いていたので、音がとても緊張しているのが判りました。見ていて、こちらまで緊張してしまうほどでした。何ていう曲を吹いたのかは、ちょっと判りませんでした。※5

宮田さんは笙も持ってこられたので、それも見せてくれました。鳳凰の蒔絵のついた見事なもので、笙自体も鳳凰を表しているのだそうです。上に伸びた管が羽に当たるのですが、岡野さんは「私は指の形に、似ていると思います。剃刀も入らないくらい、管と管がぴったりくっついていて、あまりの美しさにぼろぼろと泣いてしまったこともあったくらい」とおっしゃっていました。

 

陰陽道と旋律

現在伝わっている笙は、音が出ない管が2本あるのですが、陰陽道で「鳴らさない方が良い管」とされたので音が出なくなった、と言う説もあるそうです。
また、笙は女禍が、琴は伏儀が作ったものとも言われています。
音と星は同じ事を意味し、星を耳に聞こえるように変換したものが旋律で、数値として表したものが陰陽道だと、岡野さんは考えているようでした。

音は「きゅう、しょう、かく、ち、う(宮・商・角・微・羽?)」と言う5つの言葉で表すことが出来、これは、陰陽道の五行にも通じるのではないか、とも。木火土金水が、五芒星の形をなすように、旋律もそういう風に表すことが出来る…そんな意味だったと思います。

舞台には和琴がおいて有り、琴の説明もしてくれました。琴柱(ことじ)はちゃんと楓の木。音程は、琴柱で決めるのだそうです。
和琴は日本独自のもので、長さは約1メートル90センチ。神楽で演奏されるものです。
日本書紀には「舟の底板で和琴を作った」という記録が残っています。

ここで、次の雅楽演奏の曲目についての説明がありました。

   盤渉調調子
   平調調子

「調子(ちょうし)」というのは、雅楽の演奏会では、必ず曲の前に演奏されるもので、宮田さんは「導入部分」と表現していましたが、岡野さんは「場を変えるという役割があると思っている」と言っていました。
「盤渉調(ばんしきちょう)」とは北を表し、色で言うと黒、季節は冬、動物にたとえると玄武。お葬式でも使われたりすることがあるそうです。
「平調調子」は、調子の中でも一番たおやかで、雅やかに感じる調子で、奏で方の注釈には、「春の柳が揺れるように」とあるそうですが、実は秋の曲です。

※補足 

実は和琴のお話の前に、ピタゴラス音階について、少しお話しされました。ちょっと難しい内容で、自分でも理解しきれていなかったので、割愛してしまったのですが、岡野さんの公式ウェブサイトにその事が少し出ていましたので、ちょっと補足しておきます。

ピタゴラス音階というのは、弦の長さが半分になると、オクターブ高い音が出る仕組みになっています。例えば、1本の弦があるとします。

   ───────────────────
      ↑   ↑      ↑  
      ★   ●      ◆

◆のところを抑えて、弦を弾くと「ド」の音が出たとします。その半分の長さの●のところを抑えて弦を弾くと、オクターブ高い「ド」の音が出ます。さらにまた半分の長さのところ(★)を抑えると、さらに1オクターブ高い「ド」の音…というように、長さを1/2にすると1オクターブ高い音が出るという法則があるのです。

ヨハネス・ケプラーは、惑星運動についての法則を発見した人です。ピタゴラスは古代ギリシアの人ですが、そんな前にこのような法則が既に発見されていたのです。短くでしたが、こんなようなお話をされました。「音楽と星と数学は、結びついているもの」とおっしゃりたかったのではないでしょうか。

 

2. 雅楽演奏(宮田まゆみ・岡野玲子)

お二人とも白い狩衣に烏帽子姿で登場。表は白、裏は朱色だったので、「桜」という重ねでしょうか? 指貫は、小豆色でした。
宮田まゆみさんにライトが当たり、笙の演奏。まるでパイプオルガンのような、重厚な音でした。笙は息を吸っても、吐いても音が出るそうですが、吐いたときに出る音と、吸ったときに出る音では、力の入り方(?変な表現ですみません)が違う感じがしました。
プロの演奏って、こういう感じなのね。

岡野さんは最初、楽譜の置き方を変えたりしていましたが、エアコンの風で譜が飛ぶようで、重しを上に置いていたりしていたようです。その後はご自分の番になるまで、目をつむって瞑想していました。

宮田さんに当たっていたライトが消え、岡野さんにライトが当たりはじめます。
前にしていた和琴を右膝にのせ、弾き始めました。

  ぼろろん! (ばちのような琴爪で弾く)
  ぽん、ぽん、ぽん、ぴん… (左手でピチカートのように弾いていく)

音を一つ鳴らす毎に、てがすっ、すっ、と動いて最後の音はかすかに鳴る程度の小さな音。うまく言葉で表せない^^;
終始、こんな感じでしたが、途中、ふと、譜面を見失ったのかな?と思われるような表情をした時がありました。

岡野さんの演奏が終わると、また宮田さんにライトが当たり、笙の演奏。
何しろ、一番前の席だったので、宮田さん、岡野さんの指の動きもよく見えました。
(岡野さんの結婚指輪まで見えたんですもの)

 

3. 講釈「神道講釈 安部の晴明伝その四」  旭堂小南陵

神道講釈というのは、賀茂神社が元になっており、明治の中頃に廃れた。しかし、菅原道真伝(名前は違ったかも)、安倍晴明伝などの種本が残っており、講釈師(昔は神主であった)の格好は写真が残っていたので、復元することが出来た。(格好は、白い束帯に御弊を持つ、というもの)

(あらすじ)
齢400才にもなる白道仙人の元で、無事千日の修行を終えた晴明は、「大元尊神荼枳尼法(だいげんそんしんだきにほう:ほき内伝のこと)」を携え唐の国より帰朝した。

謀反の企みが晴明のせいで失敗に終わった、検非違使の頭藤原元方と芦屋道満は、密かに晴明を殺そうと計画を企てる。それは、晴明にたくさん酒を飲ませ、酔っぱらったところを切り刻んでしまう、というものだ。
早速元方は、関白実頼公に、晴明帰朝の宴を催してくれるように頼む。晴明は、関白の招待なので断ることが出来ず、宴では関白を始め大納言・中納言・少納言達に酒を勧められるままに飲んでしまう。

千日の修行の間、清い谷川の水を飲み、木の根や木ノ実しか食べておらず、清められていた晴明の身体に、酒はすごくよく効いた。つまり、すごく酔っぱらってしまったのである。

宴が終わると晴明は裏門へと案内された。しかし、そこには待っている筈の晴明の従者はおらず、下僕が一条堀川の晴明邸まで送ってくれるという。だが、途中の竹薮にさしかかった時、晴明は突然切りつけられてしまった。そこへ道満と元方が現れ、晴明の身体を切り刻み、心の臓をその身体から掴みだし、持ち去ってしまう。 

一方、唐の国では白道仙人が修行をしていると、にわかに城荊山の文殊堂が燃え上がるという事件が起こった。驚いて日本の方を見ると、血にまみれた晴明の姿が、遥か彼方に見える。白道仙人は「一時金輪の法 ※1」で、晴明の屋敷へと向かうのだった。

一条堀川では晴明の息子の吉平が、父の遺体を前に泣いていた。
そこへ白道仙人が現れる。
「晴明の遺骸は、全て揃っているのか」
「はい。しかし、心の臓のみありません」
「よいよい、心の臓には生きた蟇(ひき:蛙のこと)を当てて置け」

仙人は祈祷壇をを用意し、四方に札を貼り、生魂続命ひきめの法を行った。
(この呪法は全部で19の段階があるため、割愛させていただく)

次に魂魄戻しの法を行った。

東西南北の方角と日輪に向かって、2本ずつ矢を放つ。そして水を張った桶に朝日を映し込み、その桶に足をどん!と入れる。部屋では魂魄の法の呪文を唱える。(実際に唱えましたが、とても覚え切れない)これを七日間の間、ずっと繰り返すのだ。七日目、晴明の顔に血の気がさして、うめき声を上げて晴明は蘇った。白道仙人は吉平に「この術、決して忘れるな」と言い残し、「ぼろん!」と一時金輪の法の呪文を唱えると、消えた。

蘇った晴明は、「宴に招かれたのは覚えているが、いつの間に屋敷に帰ったのだろう」などと寝ぼけている。  
吉平が、「父上は道満に殺され、白道仙人が蘇らせてくれたのです」と起こった出来事を話すと、「ああ、ありがたい事じゃ」と唐の国雍州城荊山に向かって礼をしたのだった。

晴明が宮中に参内すると、元方は驚いた。道満を呼びつけどういう事かと問いただすと、道満は占いをし、「晴明はどうやら蘇ったようです。おそらく戻り橋の浄蔵の念 ※2 を借りて、蘇らせたと思われます」と答える。

道満は、「城荊山での修行で、晴明の身体は『陰の清い身体』になっている。それが縮地の法で、急に『陽の都』に来たので、急激な(環境の)変化で晴明の身体はだんだんと弱ってくるはずだ」

果たして道満の予言通り、3年もたつと、晴明の身体にはぶつぶつとでき物が出来、だんだんと弱ってきた。

道満は「今ならば晴明を倒せるかもしれぬ。…しかし、やはりだめだ」
倒すことは出来ないと悟った道満は、東山如意ヶ岳(字は違うかもしれません)に住む、すいがんという坊主を呼び寄せる。この坊主は密教の荒行で修行をし、人を呪い殺すことが出来るという。

病で臥ってしまった晴明は、病の床で日輪が2つ上がるのを見る。
「これは、謀反のしるしぞ」と、実頼公に知らせるが、同時に道満も「これは吉兆のしるしである」という書状を実頼公へ届ける。

この後、またしても二人の対決と相成るのであるが、それは第5話、6話へと続いていくのである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
※1.....「一字金輪呪」のうまくさんまんだ、ぼたなん、ぼろん と言う呪文を唱える。 →戻る
※2.....浄蔵は戻り橋で父を蘇らせたという伝説がある  
→戻る

※3.....「ばんしきのさんげん」とは、「盤渉参軍」のことだそうです。 
    「そうろうこだつ」は、「曹娘褌脱」で合っていました。
     これらは博雅が作曲したものではなく、博雅が村上天皇から命を受けて、編纂した譜面のなかで
     良く知られている曲名です。
     源博雅が作曲したもので、有名な曲には「長慶子」などがあります。  
→戻る

※4.....俊宏さんが吹いてくれたのは、「蘇合香」ではなく「越殿楽」でした。 →戻る
※5.....岡野さんが吹いてくれた曲が「蘇合香」でした。 
→戻る

※3〜※5まで、情報提供ありがとうございました。

陰陽夜話のトップへ戻る 


紫堂トップページ古代史研究室