◆ 名前の由来(厩戸皇子) ◆

 
「聖徳太子」というのは,賜号(亡くなったあとで付けられる名前)です。では、聖徳太子が生きていた時に呼ばれていた名前は、いったい何だったのでしょうか?

史料にある、聖徳太子の呼び名には、次のようなものがあります。

日本書紀 「厩戸皇子」(うまやとのみこ)
「厩戸豊聡耳皇子」
(うまやとのとよとみみのみこ)
「豊聡耳法大王」
(とよとみみののりのおほきみ)
「法主王」(のりのうしのおほきみ)
古事記 「上宮之厩戸豊聡耳命」
 (うへつみやのうまやとのとよとみみのみこと)
法隆寺金堂
薬師像
光背の銘
「東宮聖王」(まけのきみひじりのきみ)
法王帝説 「厩戸豊聡耳聖徳法王」
(うまやとのとよとみみのしゃうとくのりのおほきみ)
「上宮厩戸豊聡耳命」
(うへのみやのうまやとのとよとみみのみこと)
「厩戸豊聡八耳命」
(うまやとのとよやつみみのみこと)
「上宮王」(うへのみやのみこ)

「聖徳」「聖王」「法主王」というのは、後の世になって付けられたものと思われます。太子は天皇にならずに、皇太子のまま亡くなり、また「法王」という位があったわけではないからです。

また、「豊聡耳皇子」というのは、太子が聡明であったことの誉め言葉のようなものだったようです。
この「とよとみみ」という読みから、「一度に10人の訴えを聞いて、それをきちんと聞き分けることが出来た」という伝説が出来たようです。

「上宮」は、「かむつのみや」とも読み、用明帝が太子をたいそう可愛がり、池辺の「宮の南上(かむつ)大殿に住ましめた」所から付けられた名前だと思われます。
(「日出処の天子」1巻145Pで、来目王子も「兄上は南上の殿におられる」と言っていますね。「南上(かむつ)」とは、東南のことです)

このことから、太子の本名(?)は、「厩戸皇子(うまやど/うまやと の みこ/おうじ」だったと思われます。

この「厩戸」ですが、まるでキリストの誕生時のように、母である間人皇女が厩の前を通りかかったら、急に産気づいたからだと言われていますが、当時、皇族の皇子は母方の氏族や、乳母(めのと)となった女性の氏族の土地で生まれることが多く、生まれた土地の名前を付ける事が普通だったようです。現在「厩戸」という地名は残っていませんが、おそらく「厩戸」と言う土地で生まれたので、「厩戸皇子」と名付けられたのでしょう。
 

 

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