日本書紀 |
「厩戸皇子」(うまやとのみこ)
「厩戸豊聡耳皇子」
(うまやとのとよとみみのみこ)
「豊聡耳法大王」
(とよとみみののりのおほきみ)
「法主王」(のりのうしのおほきみ) |
古事記 |
「上宮之厩戸豊聡耳命」
(うへつみやのうまやとのとよとみみのみこと) |
法隆寺金堂
薬師像
光背の銘 |
「東宮聖王」(まけのきみひじりのきみ) |
法王帝説 |
「厩戸豊聡耳聖徳法王」
(うまやとのとよとみみのしゃうとくのりのおほきみ)
「上宮厩戸豊聡耳命」
(うへのみやのうまやとのとよとみみのみこと)
「厩戸豊聡八耳命」
(うまやとのとよやつみみのみこと)
「上宮王」(うへのみやのみこ) |
「聖徳」「聖王」「法主王」というのは、後の世になって付けられたものと思われます。太子は天皇にならずに、皇太子のまま亡くなり、また「法王」という位があったわけではないからです。
この「厩戸」ですが、まるでキリストの誕生時のように、母である間人皇女が厩の前を通りかかったら、急に産気づいたからだと言われていますが、当時、皇族の皇子は母方の氏族や、乳母(めのと)となった女性の氏族の土地で生まれることが多く、生まれた土地の名前を付ける事が普通だったようです。現在「厩戸」という地名は残っていませんが、おそらく「厩戸」と言う土地で生まれたので、「厩戸皇子」と名付けられたのでしょう。