教習所 (2001.6.19)

私が免許を取得したのは、社会人になってからである。

当時、二子玉川園の近くに勤めていたので、二子玉川の日産のドライビングカレッジに通っていた。しかし、勤めが終わってからの教習なので、週に2〜3回しか教習に行けず、学科と実技両方を取らなくてはならないので、なかなか進まない。毎日(特に昼間)通ってくる人は、1カ月やそこらで卒業してしまい、3カ月通っている人は既に珍しいようだ。結局私は半年くらいかかってしまったが…。

シュミレーションはなく、いきなりオートマチックの乗用車で教習を始めたのだが、最初は車線の真ん中をきちんと走れず、センターラインをオーバーしてしまった。この時、「免許取れる日は来ないかもしれない…」と思うくらい、難しく感じた。

それでも何とか仮免が取れ、路上に出られるようになったのだが、実は教習中に、前の車に追突しそうになったことがある。

教習コースには「環八」(東京環状8号線の略で、常に交通量が多く、渋滞も多くて有名な道路)が入っており、だいたいの場合、右折で環八に入り、また右折して横道に入る、というコースが多かった。私は「どうせ次は右折だから、最初から一番右の車線に入っちゃえ〜」と思ったのだが、教官は「真ん中の車線(3車線ある)に入って下さい」と言う。そのあと、「右に曲がりましょう。車線を変更して」というのだが、既に隣の車線は、まるで数珠つなぎのように車でいっぱいであった…。

「ダメです!入れません!!」
という私の訴えに、教官は
「大丈夫だ!スピードを上げろ」
というので、スピードを上げ、教官のハンドル補佐で、なんとか右車線に写ることが出来た。
が、スピードを上げたため、前につまっていた車に追突しそうになり、慌てて急ブレーキを踏んだ。何となく「流れてくんないかなぁ」と思っていたのだが、そんなことはなく、前の車は止まってしまったのだ。今考えると、そんなこと(前がつまってるんだから、車が流れっこないこと)はわかりそうなものなのだが…。

「後ろの車もすごい急ブレーキで止まったぞ!」との教官の声に、自分の教習車だけでなく、後続の車も急停車したことを知ったのであった。教習車なんだからさ〜、車間距離くらいあけてよね〜。

「もし、追突したら、責任は誰に…」と、喉まで出かかったのだが、やっぱりコワイので、聞くのはやめた…。

その教官とは、帰る方面が同じで、帰りの電車が一緒になった。(最終の教習のため、マイカー通勤以外の教官は、一緒にスクールバスで駅まで帰るのだ)

教官「今日の教習はどうだった?」
私 「寿命が2年くらい縮みました…」
教官「実際にぶつかる事なんて、そうないから大丈夫だよ」
私 「こんなで、ちゃんと卒業できるか不安です」
教官「入ったんだから、いつかは出られるよ」
……。

それは慰めになっていないぞ!?

それでも、卒検・学科試験ともに一発で受かり、今では一般道も高速道路も、一応規則を守って走っている(はず)。
それに一応ゴールド免許証である。(それは、乗る時間が少ないからと思われる)

高速道路といえば卒業後、半年位してから高速教習に行き(お金はあらかじめ徴収されているのだが、こんなに間をあけてくるヤツは珍しいらしい)、くだんの教官と遠目に顔を合わせて怪訝な顔をされたが、高速教習から帰ってきた車に乗っているときに、その教官の乗った教習車とすれ違い、笑顔で挨拶してくれた。

あの教官は、まだあの教習所にいるのかなぁ…。


 

ヒッチハイク その1 (2001.7.10)

何と、私ヒッチハイクされたことがある。

それは何とか無事に免許を手にすることが出来た数年後のことであった。
私は友人と3人で伊豆まで、海水浴を兼ねた温泉旅行にでかけたのである。
こすったりぶつけたりしながらも(ぶつけたところは自宅のガレージなどデス)、普通の車道(含高速)は普通に走れるようになっていた。

海で泳いだ後、温泉に浸かり、海の幸を食べての帰路の途中、熱海から「熱海ビーチライン」(海岸線を走る有料道路)に入ったはいいが、何キロも走らないうちに全然進まなくなってしまったのだ。その日は運悪く熱海で花火大会があり、普段より増して交通量が多く、渋滞も渋滞、止まったまま車は全然動かない。ふと、脇の一般道を見ると、こちらもテールランプが全く動いていない。

これではいつになったら帰れるのか、全然わからない…
仕方がないのでUターンし(熱海ビーチラインは対面道路である)、箱根を通って小田原へ出ようということになった。

伊豆からの帰り道に、渋滞を避けるため西伊豆スカイライン(有料道路)から箱根ターンパイク(有料道路)へと抜けるのは、そんなに珍しいことではなく、今までも何回か通ったことがあったのだが、熱海まで来て山へ抜けたことはないので、箱根方面へ上る道を探すべく、地図を引っ張り出して見ていると、助手席の友人が「ねぇ、あそこで手招きしているよ」と前方のアーケードを指さした。

とりあえず、車を止めるために商店街の中へ入ってきていたのだが、前方のアーケードでなにやら若いにーちゃんが手を振っている。横には若い女の子2人。

「すみません、○○(私の住んでいる町)までこれから行くんですよね?」
どうやら車のナンバーから目星をつけたらしい。

「この女の子2人、一緒に乗せていってもらいたいんですけど。あっ、ご迷惑だったらいいです」
「乗せてってくれって、いったいどこまで?」
「○○の方面だったら、どこでもいいです」
「どこでも良いって、私の家の前でサヨウナラ、ってわけにもいかないでしょ?どこへ行きたいの?」
「××(ウチの近所の街の名前)です」
「今から帰ったら、いったい何時につくか、わかんないよ?(既に時間は10時をまわっていた。私は渋滞から抜けてきたので、この先も多少渋滞していると思ったのだ)」
「道わかんないんですか?」
……。

確かに道を探していたんだから、わからないのは間違いではない。しかし、迷ったわけでもない。渋滞を避ける道を探していただけだい。ちょっとムカッときたのだった。

結局、既に3人乗っているので後2人増えたら定員いっぱい。いくら太っていないとはいえ、窮屈だ。というわけで、結局お断りした。この時間ならまだ新幹線あるしね。

当時は某テレビ局の「猿○石」のブームまっただ中(ドロ○ズだったかも)で、ヒッチハイクが市民権を得つつある時期だった。それにしても何故…。これは私の推測だが、大学のサークルの合宿かなんかで熱海に宿泊していたが、何らかの理由で帰らなくてはならなくなったのだろう。だが学生はビンボーなので、新幹線代はない。故にヒッチハイクをすることになったのではなかろうか。

彼らはそのあと、どうしたのだろう?
無事に家までたどり着いたのだろうか?

少々時間を食ってしまった我々は、箱根の山方面に上る道を見つけ走り出した。
が、この先珍道中がまだまだ続くとは、知る由もなかった。

…つづく。


 

ヒッチハイク その2 (2001.7.18)

熱海から箱根へ抜けるべく登って行くにつれて、だんだんと霧が出てきた。西伊豆スカイラインと箱根ターンパイクを結ぶ道路に出ると、もう真っ白。10メートルくらいしか先が見えない。
昔、富士山の5合目まで登ったときには、5メートル以下ということがあったが(この時は信号待ち位の距離で、やっと前の車のテールランプが見えた)、その時よりはちょっとましか。

それにしても、見づらい。そして車が全然見あたらない。対向車も通らないのだ。空いているのはいいが、これほどにまで全く車がいないと、それはそれで心細くなるものである。しばらく走ると前方に車が見えてきた。ほっとしたのもつかの間、その車は急にハザードランプをつけ、脇に止まってしまったのだ。

つまり、私に「先に行け」ということである。私だって人(他車)の後について走りたいよ〜!

しばらく2台で走っていたが、そのうち後続車がいなくなり、また自分たちだけになってしまった。更に走ること数十分。ようやく箱根ターンパイクの入り口までたどり着き、ゲートをくぐろうと右折したら、なんと通行止めになっていた。

高速道路は年中無休だと思っていたが、営業時間があったのか…。(と、その時は思ったが、ただ単に霧がすごいので通行止めにしただけだったのかも)
自分たちの他にも、ゲートに入ろうとして止まった車が何台かいた。

しょうがないので、国道1号線で小田原まで下ることになった。国道ならいくら何でも通行止めはあるまい。
しばらく走ると、前方に車が見えてきた。おおっ、「小田原」ナンバーの車だ!これにくっついて走れば、少なくとも小田原までは連れて行ってもらえそう。霧も無くなってきたし、ヨカッタ〜!

そのうちに箱根新道(有料道路)の入り口が見えてきた。こちらは普通に営業しているようだ。前に連なっている数台の車がみんな箱根新道へ入っていくので、「少しは早く帰れるんだろう」と後に続いて箱根新道へ。比較的快調に飛ばし(といっても全線下り坂なので、スピードに注意とエンジンブレーキ使用のこと)無事に小田原に着いた。あ〜ヤレヤレ。

ここまで来れば、もう少しだ。小田厚(小田原厚木道路:有料)で飛ばして帰れば、なんとか今日中に家に帰れそう。

と、燃えて小田厚に入ったはいいが…この後またしても事件が…!!!

…つづく。

 


ヒッチハイク その3(2001.7.29)

小田厚に入ってしばらく走ると、2台前の車が遅くてスピードが出せなくなった。ちんたら走るなら走行車線に行ってよ〜。最低100キロは出さないと、高速道路じゃないじゃん!(実は制限速度は80キロ)あたしたち急いでんの!!

いらいらしながら走っていると、そのうち遅い車が左の走行車線によけた。「ヤッタ〜〜!!これで飛ばせるぅ〜!(おそらく前の車もそう思っていたらしく、スピードが急に上がった)」とアクセルを踏んで1、2分、突如例の遅い車の屋根に赤く光って回る物体が出現した。

…覆面パトだったのだ。

その瞬間、速度はがくんと落ち、40キロにまで下がってしまった。

覆面パトは前の車に併走し、拡声器で何か言っている。私はそろーっと速度を落として、覆面パトの3台くらい後ろに入った。…もうちょっとで捕まるところだった。前に車がいたからよかったけど、自分が先頭だったら絶対捕まっていたはず。

捕まった車は観念したらしく、路肩へ駐車した。私は「替わりにに捕まってくれて、ありがとう」と心の中でお礼を言いつつ、覆面パトをやり過ごした。
しかし、受けたショックは結構大きく、そのあとあまりスピードが出せなくて、家に帰るのに結構時間がかかってしまったのであった。

よく「先頭を走らないほうが良い」というが、本当に身をもって実感した。この後しばらくは後遺症が続き、高速道路であまりスピードを出すことが出来なくなってしまった(今は治ったけど)。

今でも先頭を走らないようにしているのは、言うまでもない。


 

ヒヨドリの知能指数 (2001.9.1)

我が家には猫の額ほどだが、庭がある。
植わっているものは、桜、梅、桃、椿、柚、柿、山椒、など。
多年草ではアスパラガス(これは面相筆くらいの太さにしかならない)、大葉(シソ)、茗荷など。
シソなんかは「庭に生えているもの」という認識があったため、スーパーで10枚100円で売られているのを見たときには、「こんなものがスーパーで売ってる!」とびっくりしたものだ。

これだけ聞くとすごいお屋敷のようだが全然そんなことはなく、狭い敷地に所狭しと植わっているもんだから、通りから見ると(手入れが行き届いていないせいもあって)まるでジャングルのよう。

食用になる木が多い中でも、特に目玉(?)はブドウ(デラウエア)の木。元々は夏の日よけ用に植えてみたようだが、実をつけるようになって早15年(くらい?)。
(余談だが、ブドウは夏は葉が密集して生え、冬は全て葉が落ちて幹(つる)だけになってしまうため、落ち葉の掃除をクリアすれば、日よけとしては最適な植物だと思う)

最初はスカスカで、10房くらいしか実らなかったが、5〜6年目くらいではご近所に配れるくらいのものがなるようになった。と言っても、市販のみっしりと詰まったものに比べると、房の長さは約2/3、実のつまり方はもっと隙間があるが。

市販のデラウエアには種がない。ご存じの方もいると思うが、これは種なしにするために、花が咲いてから薬品処理を行うからである。しかし我が家ではそんなことはしませんので、当然種有りデラウエアになる。

種有りのままにしておく理由の一つに、熟してから収穫するためすごく甘くなり、味だけはいいので、「自分の庭で採れた」と言っても信じてもらえないかもしれないから、というのがある。

ところがこのブドウの実をねらって、ヒヨドリがやってくるようになった。

実がなるようになってしばらくは、食べられてしまうことはほとんどなく、鳥よりも蜂がやってくることの方が多かった。「収穫できなくなる害」は、もっぱら鳥害よりも台風の風害の方が多かったように思う。

ところが、ヒヨドリが毎年つがいでやってくるようになり、鳥・蜂よけの意味で家人が新聞紙で袋をかぶせ、食べられないようにした。しかしヒヨドリはつがいの夫婦+子供とやってくる数が増え、実が大きくなる頃に必ずやってくる。実がまだ青いうちから、ついばむのだ。

これがまた、鳴き声がうるさい。網戸を「バーン!」とたたくと、音にびっくりして飛び去るが、だんだんと驚かなくなり、最近では人間が庭に出ていってもかなり近づいてくるまで、物干し竿などに留まって逃げなくなってしまった。「人間が出てくるのは一時で、またすぐ居なくなる」ことを理解しているかのようだ。全く憎たらしい。

雑誌のおまけCDをぶら下げてもみたが、最初だけであとは全然効果なし。

それでも最初のうちは、袋がかかっていないブドウの房を食べていたのだが、一昨年あたりから「袋を破れば、ブドウにありつける」ことがだんだんわかってきたようで、去年はびりびりと新聞紙を破き、中のブドウを食べることを覚えてしまった。おまけに、皮は食べずにきちんと吐き出すのだ!
そして人間が寝ている明け方にやってくるようになった。昼間は昔に比べて静かになったが、ブドウの鳥害はひどくなる一方。

ついに今年は、ブドウ棚全体に網が掛けられたが、果たして効果のほどは?来年は果物農家で使われている「プロ仕様」の袋を買おうという話も出た。売り物じゃないんだから、そこまでしなくても…とも思わなくないが、やっぱり食べられると悔しいのだ。

収穫時期は9月中旬〜10月上旬。しかし果たしてどれくらい実が残っているのか…?

それにしてもヒヨドリの学習能力には驚かされる。 


 
  

 

 

  
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