スターカレンダー

私は結構映画を見るので、某映画館シネマ○ティの会員になっているのだが、会員証に「スターカレンダー」の引換券が付いている。12月が引き替え期間なので、カレンダーをもらいに行った。
その日は映画は見ないので「カレンダーだけ下さい」と言ったら、出てきたものはやけに重くて大きい筒。随分立派だなぁ、と思いながら帰宅して開けてみると…。
最初に目には行ったのは、名取裕子のドアップの顔であった。
慌てて表紙を見てみると、そこには大きく「松竹スターカレンダー2000」の文字が。

ここの映画館は、最近流行の1つの建物の中に複数のスクリーンがあるという形態で、上映は洋画が主な感じである。もちろん、稼ぎ時は「ピカチュウ」も「東映漫画祭り」もやっているが、邦画よりは洋画に力を入れているようだ。そこで「スターカレンダー」とくれば、レオさまや、ブラビのカレンダーだと思うじゃないか!?(別に、レオナルド・ディカプリオや、ブラッド・ピットのファンと言うわけではないが)まさか、松坂慶子や浅田美代子のカレンダーが出てくるとは、全く思っていなかったのだ。
確かに昔は松竹の映画館だったけどさ…。

この「松竹スターカレンダー2000(某シネマ○ティロゴ入り)」はとても大きく(おそらくA2サイズ)、飾るところがない。
あまり飾る気もないが…。欲しい人があれば、あげますけど。

今年は、もうカレンダーをもらいに行かない(;_;)


 

ブレア・ウィッチ・プロジェクト・ナイフ

DVD EXPRESSというDVD専門のインターネットショップをご存じだろうか。

映画好きの友人が、日本公開前に是非「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を見たいというので、カードがない友人のために私が代わりにこのサイトからネットショッピングをしてあげた。別にamazon.comでもよかったのだが、DVD EXPRESSで予約で購入すると、予約特典でロゴ付きミニナイフがもらえるので、DVD EXPRESSにしたのだった。

発売日から約5日後、税関で没収されることもなく(べつにアダルトソフトを買ったわけではないが、「羊たちの沈黙」も一緒に買ったので、没収される可能性もあったのだ)結構早く荷物は届いた。が、中にはおまけのナイフがなかったのだ。おまけがあったからDVD EXPRESSにしたのに、これでは意味がない。

仕方がないので、DVD EXPRESSに「荷物は届いたが、おまけがなかったから送ってちょ」とメールを送ったら、次の日に「悪かった。すぐ送る」と言う返事が帰ってきた。映画のHPの掲示板などでは、「メールを送ったが、返事が来ない」「3〜4回送って、やっと返事が来た」と言う話はざらなので、「なんだ、ちゃんと返事くれるじゃん(^^)」と思いつつ待っていたが、待てど暮らせど荷物は届かない。1カ月たっても届かないので、「送るって言ったのに、来ないよ!」と、メールを送ったら「大変申し訳ない。すぐ送る」と言う返事がすぐ帰ってきた。が、更に1カ月待っても荷物は届かなかった。

「送れない」なら、しかるべき理由を書いて「送れないので、ごめんなさい」と言えばいいのだ。そして、クーポンでも付けてくれれば、「仕方ないな〜」と納得するのだが、向こうは2回も「送る」と言ってきたのである。「『送る』と書いてよこしたんだから、アンタたちはナイフを送るべきだ!お宅のサイトで『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を買った人で、ナイフが入っていなかった人は結構いたみたいだし、『DVD EXPRESSは対応悪し』って、ネット上でばらまくよ。どういう結果であれ、返事をくれ」と、やんわりおどしてみた(実際、ネットではもう流れちゃってるんだけどね)。<おまけに窓口3ヶ所に送りつけた

しかし、何の反応もなかったのであった。
最後に「早く送りやがれ!!バカヤロウ!!」と、伏せ字が入るようなメールを送って、それでも返事が来なかったら諦めるか〜〜と思っていたところ、約10日後に突然荷物は届いた。教科書サイズくらいの箱に、100円ライターほどの箱に入って、例のナイフは届いたのだった。特に詫び状などは入っていなかったが、こういうことを期待するのは、日本人だからなのか?? ……「バカヤロウ!」というメールを送らないで良かった…。

余った景品をみんなで分けちゃってから、「うるせー客がいるから、悪いけど返して」と、誰かから巻き上げたものなのか。それとも、3カ月間倉庫を探しまくっていたとか…。

諦めずにしつこく交渉すれば、手に入るということを学んだのだが、読めない(意味が理解できない)メールを送ると、返事は来ないようだ。辞書を片手に慣れない英文でメールを書くのは、時間がかかって大変だった。簡単な表現ほど、英訳が難しい…。

「対応がはなはだ悪し」と、判断いたしましたので、お約束通りネットに載せることにいたしました。


 

引っ越し 2000.5

引っ越しといっても、自分の家ではない。
たくさんの画像、最近はムービーなども載せたりして、ここGeocitiesの空きスペースが少なくなってきたので、引っ越しを考え、正規に契約しているプロバイダに、ホームページの場所を確保したのだった。

なんと、初期設置費用¥3000で、30BMまで持てるのだ!
ムービー上げ放題!!コンテンツ充実!!(?)ウハウハだねこりゃ〜 \(^=^)/ と、喜んだのもつかの間…。
試しにトップページだけをアップしてみると、なんと、Geocitiesよりも表示が遅い。ご覧の通り、大して重い画像はないのだが、なかなか表示されない。回線自体が細くなってるのかしら、と、Geocitiesの方を見に行くと、さほどたたずに表示される。要するに、サーバーが遅いのね…(^^;)

昼間はそれほどでもないのだが(しかしGeocitiesの方が若干早い)、テレホタイムに入ると、もうだめ。多少むらがあって、夜でも比較的早く表示されることもあるのだが、だいたいは遅くて我慢できないのだ。

それにしても、タダのGeocitiesよりも遅いのは、ちょっと、ねえ。何しろ、ウチは未だにモデムなので、自分で動作確認をするときに快適に行えるよう、ページの重さは「28.8kのモデムで、快適に見られる容量」を心がけているのだ。(さすがにモデムはニッパッパーではなくなったが)
これでは、見に来てくれる人にも、ちょっとあんまりなので、当分引っ越しはやめて、ムービーなどかさばるものを、こちらのサーバーにおくことにした。

こういう状況なので、なにとぞご理解下さい。
ムービーは、昼間にご覧になるとよろしいかと思います。


 

冷房病 2000.7

私は冷房が嫌いである。嫌いというより、冷えてしまって体調が悪くなってしまうのだ。最近はどこも(特に電車内)冷房が利きすぎだと思う。乗る電車にもよるが、ひどいときなどは、弱冷房車に乗っても10分で冷えてしまい、上着を着ないと寒くてしようがない。背広のおじさんに、温度設定を合わせてあるのかと思うくらいだ。

前に「グリーンカウンター(苦情窓口)」で、実際に聞いたことがあるが、「そんなことはない」という答えだった。寒いときは遠慮なく車掌に言ってくれと言われたが、そんなことは実際不可能だと思う。まず、一番後ろの車両まで移動し(弱冷房車は真ん中にある)、業務の間をぬって、邪魔にならないように「寒い」と訴えなければならない。サービス心のない車掌さんだったら、睨まれてしまうかもしれない。

何年も前だが、「スーパービュー踊り子」号に乗って伊豆から帰ってきたときなど、最悪だった。私には「電車は寒いもの」なので、当然靴下をはき、長袖シャツを羽織っていたが、それでも寒くてしようがない。そばを通りかかった「ビューレディ(スッチーのJR版だが、スッチーほど教育されていない)」に「寒い」と訴えて社内の温度を少し上げてもらった。しかし、まだ寒いのだ。

耐えられず、再びビューレディの元へと訴えに行ったのである。リゾート地への足なので、当然乗客はランニングや、短パンといった、「海辺の格好」の人が多かった。が、その人たちも首にタオルを巻いたり、バスタオルを羽織っていたりしたのだ。「ほんとに寒い電車」だと、笑ってしまいたくなるくらい、納得してしまった。デッキで談笑していたビューレディは、長袖のブレザーを着ていた。

その格好だったら、寒くないだろうよ!

と、私は心の中で毒ついてしまったのだった…。

「あの〜寒いんですけど、もうちょっと温度上がりませんか?」
「何号車ですか」
「○号車ですけど、他の号車の人たちも、寒そうでしたよ」
「○号車は、これで一番温度が高いんですけど…」
「じゃあ、車掌さんに直接言えば、もっと暖かくなります?」

と、食い下がる私。
その後冷房から除湿になったようだが、既に冷え切った体には手遅れで、在来線に乗り換えた後、さらにたっぷり冷えてしまい、家に帰ると同時にトイレに駆け込んだのだった。

ところで、私は昔から冷房がだめだったわけではない。学生の頃は電車に乗ると、「涼しい〜。降りたくな〜い」と思ったりもしたのだ。それがなぜ、こんな体質になってしまったのか。

最初に就職した会社は、「家内制手工業」のような職業で、畳の上で仕事をしていた。入社して3ヶ月後、古くなった社屋を建て直すため、近くの梨畑の空き地を借りてプレハブを建て、そこで仕事をすることになった。(ちなみに、多摩川の近くに会社はあった。すごい田舎ではありません)

何しろ夏の一番暑い時を、焼けたトタン屋根のプレハブ(しかも2階)で過ごすのだ。冷房は電気容量の関係で付けられず(付けたところで、隙間だらけなので大して効かなかっただろう)、汗をかくものだから、みんな会社では短パンにTシャツといった格好で仕事をしていたので、ぱっと見はまるで「海の家」のようだった。

室内の気温は40度まで上がることもあり、夏が盛りを過ぎる頃には「今日は涼しいと思ったら、気温が30度しかない」といった会話が、マジで交わされるようになってしまった。慣れとは、恐ろしいものである。

一度、誰かが氷柱を買ってきてくれたことがあり、氷柱の後ろに扇風機を置き、原始的なクーラーをしたことがあったが、あまりの暑さに氷はすぐに溶けてなくなってしまい、つかの間の(目だけ?)涼しさだった。

ちなみに冬は、室内でも鍋の水がかちんかちんに凍るほど寒かった。ここでの生活(?)は、いろいろな珍妙な事が起こり、結構面白かった。その話はまた後日。

次の年の春には、新社屋が完成し、夏は冷房をがんがんにかけたのだが、それがまずかったようである。特に、上司は太っていたので、いつも扇子を手放さず「あちあち」とやっていた。冷房の設定温度をものすごく下げてしまうことが、しばしばだった。私はこのひと夏で、完璧な冷房病となってしまった。

幸いにも、今の会社は「節電のため冷房の温度は26度以上」と決められてからは、「19度」などというとんでもない温度に設定する人がいなくなって、少しましにはなったが…。


 

モモ色iMac 2000.8.6

あまりの処理の遅さに耐えかね、新しいマックをついに購入した。
(処理が遅くなったのは、アプリケーションがバージョンアップに伴い、重くなったのと、CPUの能力以上のOSを入れたせいもある)

なぜ、唐突に買ったかというと(確かに前から新しいマックが欲しかったけど)、新製品が発表され、モモ色のiMacが市場から無くなってしまうので、あわてて購入を決めたのだ。iMacはどこで買っても値段は一緒なので、在庫があるところで購入することにした。が、在庫があったのは、地元駅前のヨド○シではなく、地元民なら誰でも知っている大手電機屋「ムラ○チ電気」であった。最近知ったのだが、ネットではずいぶんと大きなサイトらしい。

この店は、初心者とおぼしき家族連れ(つまり、お金を出しそうな、おとーさんがいる集団)には、店員が寄っていって、説明してくれるようだが、私には、一度も店員が寄ってきたことがない。
しかし、修理センターがあるため、ここで買うジモティーは多い。価格的には、若干ヨド○シの方が安かったのだが、最近は同じような価格設定で、ポイントカードも導入されたようだ。(あまり良い思いをしたことがないので、久しく行かなかった。かといって、ヨド○シがいい、というわけでは 全然 ない。こっちも最悪である。余談だが、高いものを買うときほど、店員に聞いたりするので、イヤな思いをする確率が高いのである。私は、お金を払うときは、なるべく親切そうな店員の手が空くのを待って、レジに持っていくのだ。今回、在庫があるか調べてくれた店員は、奇跡的に、感じの良いおにーさんであった)

買いに行ったのは平日の昼間(夏休みだったのだ)、マックの売場には店員が全く見あたらなかった。売る気がないのかと思うくらいだ。その辺の店員(おじさん)を捕まえて、「iMac欲しいんですけど」と言うと、しばしの沈黙があった。(どちらの色ですか、とかなんとか、普通はすぐ言うと思うのよ)

やっぱり、売る気無いのかも、と思った。そして、捕まえる店員を、もっと若いにーちゃんにしておくんだったと、後悔した。ジーパンにTシャツ、と言う格好もまずかったのだろうか。最初から付いているメモリ(64MB)では、お話にならないので、128MBのメモリを付けてくれるように頼んだが、「お金かかるし、時間かかるし、簡単だから自分でやれば?」と言われたのだ!(おそらく、めんどくさいから、やりたくなかったのだろう)

「付けてもらおうと思ってるんですけど」と言うと、「簡単です。教えますから」というので、中開いて挿して見せてくれるんなら…と思い、店員についてiMacの売場へ行くと、おじさんはマックの裏側を見せ、「ここにコインを当てて回すと、簡単に開きますから」と言って、説明は終わりだった。

それでは、説明になっていない!!!

そして、「ぎじメモリは、切って下さい」。ぎじメモリ??仮想メモリのことか??最近の機種では、OSの性能も良くなっているし、仮想メモリが入っている方が、アプリの使用メモリも少なくて済むので、G3クラスだと、仮想メモリを入れた方が快適なのだ。
と、言うのはやめた…。

家に帰って、自分でメモリを挿したが、驚くほど簡単であった(狭くて挿しにくかったが)。が、基板がちょこっとしか見えないので、少々つまらない。
前のマックは、PowerMac7600だったので、ばっこり中身が見えて良かったのだが〜。しかし、内蔵SCSIをPCIスロットまで引っぱり出したため、長いフラットケーブルを無理矢理押し込んであるので、実は2度と開けたくない。

ここに私のマックの師匠ご推薦の、何とかというメーカーの強力ファン付きケース入りHDを接続してあったので、今まではすごくうるさかった。今は、マックが起動していないのかと思うほど、静かである。CDでも聞こうかな♪♪とい気分になるのだ。しかし、スリープしたまま、忘れて寝てしまいそうである。


 

プレハブ小屋の夏 2000.8.11

さて、今回はプレハブの仕事場でのお話の続き。

結構大きな2階建てのプレハブだったため、建ってしばらくすると、外国の方が仕事を求めて、やってきたことがあった。「現場」と間違えたのである。梅雨にはいると、雨漏りがすることがあった。

「冷房病」でも書いたが、プレハブで過ごした夏は猛烈に暑かった。
体力の消耗を少しでも抑えるため、昼休みには昼寝をしていた。畳だったので、座布団を枕に、横になって居眠りが出来た。といっても、いつも眠れるわけではなく、熱い畳の上で横になっているだけの時もあった。

トイレは当然、仮設トイレだ。これがまた、暑い。そして臭い。ある時、私がトイレに入っていたら、突然ものすごい音がして、トイレにすごい衝撃があった。何事だ、地震か!?とあわてて表にでたら、プレハブの2階にホースを持ってFさんが立っている。私が驚きのあまりトイレから飛び出してくる様子が、面白かったらしく、すごく笑っていた。

あまりに暑いので、トイレの屋根に水をかけたら、涼しくなるだろうと思って、試してみたんだそうだ。こちらは用を足している最中に、トイレが揺れるのだから、たまったものではない。倒れてしまわないかと、マジでひやひやしたのだ。「涼しくなった?」と聞かれたが、動揺のあまりそんなことは、全くわからなかった。(そのあと、私が猛烈に怒ったのは、言うまでもない)

その後何回か試してみて、確かに涼しくなることが確認されたため、トイレに行くときは必ず屋根に水をかけてから行くようになった。

ところで、トイレの掃除は、何故か女性だけが当番でしていた。暑さのため水分が蒸発してしまい、くみ取りが困難になるため、当番は毎朝、バケツで水をトイレに注ぐのが日課となった。

トイレの掃除をする度に、私は疑問に思っていたことがある。それは、何故「男の人のトイレの床は、濡れている」ことがあるのか?である。トイレの中には、手を洗うところはない。従って、水の正体は自ずと限定されてくる^^; 今より若くて、怖いもの知らずだった私は、会社のおじさんに理由を聞いてみた。答えは、ご想像の通りである。今までは、床にマットを敷いていたため、わからなかっただけなのだ。

子供の頃、床に敷かれたマットが新しいと、ふわふわで裸足で歩くと心地よかったが、母親に「汚いからやめなさい!」と言われたのは、こういうわけだったのか。(我が家の男は、父親だけなので、何故マットが汚れるのかが、理解できなかったのだ)それ以来、妙に神経質になってしまい、腰を下ろすときも、便器の周りが汚れていないか、念入りに確認するようになってしまった…。


 

プレハブ小屋の秋と冬 2000.10.30

今回もプレハブの仕事場でのお話の続き。

夏が過ぎて台風の季節になると、また大変だった。何しろ周りは低木の梨畑なので、風当たりが強いのだ。台風が来るという週末、新社屋を建てていた工事現場の監督以下作業員全員が、「屋根が飛ぶから、屋根を押さえた方がいいよ」というので、工事現場から借りてきた鎖をみんなで屋根にかけた。その甲斐あってか、無事に台風をやり過ごすことが出来た。

が。

忘れもしない、あれは11月上旬の三連休の初日。
台風一過の良い天気だったが、午前中に同僚から電話がかかってきた。「あのね、落ち着いて聞いて欲しいの」
「うん。なに?」
「実はね、会社(プレハブ)の屋根が、飛んだの。…詳しいことはわからないんだけど」

とるものもとりあえず、会社に向かう途中、電車の窓からプレハブが見えるところがある。私はすっぽり屋根がなくなっている姿を想像していたが、見えたプレハブはいつもと変わらない姿であった。

「…なんだ。屋根あるじゃん」

プレハブの2階に上がって見上げると、線路とは反対側の屋根の板が2枚飛んでなくなっていた。室内から青空が見えるのである。屋根の落ちた先は数十メートル先の梨畑の真ん中で、太い梨の木を3本なぎ倒していたそうだ。
何故、今回も鎖で屋根を止めなかったかというと、現場の人に「今度も鎖貸して」と頼んだら、「貸しちゃうと建てかけの建物が壊れちゃうから、だめ」と、断られたからだ。プレハブ会社には事前に「屋根が飛びそうだから、補強して欲しい」と頼んだが、「大丈夫ですよ」と取り合ってくれなかったらしい。プレハブ会社の人は視察に来て、「見事に飛んでますね〜アハハ」などと最初は気楽そうだったが、損害の額を聞いて青くなっていたそうだ。(被害は思ったよりひどくなかったが、全く無かったわけではない。梨の木は3本だめにしてしまったので、その賠償もあった)

その日はびしょぬれになった畳を上げ、簡単な掃除をして帰った。週明けの業務は、畳の拭き掃除から始まったのである。

冬になると、すきま風が寒かった。十分な暖房器具がないので(どうせ新社屋に引っ越したら使わなくなるので、買ってくれなかったのだ。)腐るほどあった火鉢に炭を熾し、それで暖をとった。毎朝最初に来た人は、着火マンで昨日の燃え残りの炭に火を熾すのが日課だった。ちなみに新品の炭は火が熾きにくいので、「明日のために」全部灰になる前に、炭の火を消していた。仕事に飽きると火が消えないよう、炭の位置を変えたりしたものだった。(いったい、どういう会社だ!?)

ところで、プレハブにライトバンでパン屋さんがパンを売りに来ていたことがあった。トースターなど無いので、炭火で餅を焼くようにアミを置いてパンを焼いたのだが、ちょっと目を離すとすぐ真っ黒けになってしまった。炭火は以外と火力が強い。

上司が(夏は特に)プレハブに来ることが少なかったため、のびのびした毎日であった。今となっては懐かしい思い出。


  

 

 

  


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