劇場版ソードアートオンライン -オーディナルスケール-
 【極上爆音上映:エクストリーム ブースト6.1ch】

原作:川原礫
監督:伊藤智彦
脚本:川原礫/伊藤智彦
助監督:森大貴
キャラクター原案:abec
キャラクターデザイン・総作画監督:足立慎吾
美術監督:長島孝幸
美術監修:竹田悠介
色彩設計:橋本賢
音響監督:岩浪美和
撮影監督:脇顯太朗
音楽:梶浦由記
制作:A-1 Pictures

声の出演
キリト:松岡禎丞      アスナ:戸松遥
ユイ:伊藤かな恵      リーファ:竹達彩奈
シノン:沢城みゆき     クライン:平田広明
エギル:安元洋貴      シリカ:日高里菜
リズベット:高垣彩陽    茅場晶彦:山寺宏一
ユナ:神田沙也加      エイジ:井上芳雄
重村徹大:鹿賀丈史

ライトノベル原作、テレビアニメ化されたシリーズの新作劇場版。
TVシリーズ1期はハマったが、2期は2話くらいまで?
まとめて見ようと溜めたら時間なくて見れてない…(最近こんなのばっか)
こんなで大丈夫なのか?と思いつつ、王様のブランチの映画コーナーで、初登場1位だというので、見に行った。

アスナ、なんで頭水色?
鍛冶屋の子は覚えてるけど、もう一人誰だっけ?
と、ところどころ、話を忘れてる…
菊岡誠二郎はわかったが、茅場晶彦とどっちがどうだかわからなくなることが…
継妹は、ほんのちょびっと出演、出てることに意義があるのか?

基本的にTVシリーズを見てること前提に作られてると思うんですが、見てなくても楽しめたという人も結構いるらしい。

映画の冒頭でVRMMO事件について簡単に説明されているが、各フロアのボスが再登場したり、キリトとアスナが湖でラブラブしたりと、アインクラッド編の懐かしシーンがたくさん出てくるので、TVシリーズ1期を見てないとよくわからないかも。
登場人物にはあまり説明がないので、それぞれの関係性がわからりづらそう。
菊岡さんについては、行動と会話の内容から立場等を推測するしかないので、TVシリーズ見てないと菊岡さんがどういう人なのか、わからないかも。
シノンは、わかんなくてもあまり支障はなかった。

梶浦由記の音楽と、爆音を堪能した。
特に、ボスキャラを倒した時のハウリングと振動がすごかった。
今回は、爆風も感じたい、とちょっと思った。
ユナは神田沙也加が声を当ててるんだから、マクロスばりに前面に出て歌うシーンがたくさんあるのかと思ったけど、そうでもなく結構BGMだった。極音だと、歌声が美しく聞こえるとか?

背景美術も綺麗だった。
最近秋葉原行ってないから、どこだかあまりよくわからなかった。
代々木公園は入ったことないが、代々木体育館はよく行くのでわかった。
しかし、歩道橋の幅がやたら広かったみたいだけど…
恵比寿ガーデンプレイス、もともと綺麗な商業施設だけど、ARでもすごく綺麗だった。
しかし、画面上に出てくる会話のやり取りやいろんなウィンドウ、文字がちっこくすぐ消えちゃうので読めん!

ポケモンGOはやってないので、ARがいまひとつピンとこないけど…
オーディナルスケールつけてない人から見たら、一人で飛んだり跳ねたりしてるってことだよね?
モンスターに吹っ飛ばされるって、実際あり得る?
現実と仮想が同時に見えるだけで、物理的な接触とかはないのでは…ダイブしているなら脳へのアクセスだけで「飛ばされた」と感じるだろうけど、現実世界で吹っ飛ぶまで行くのかなぁ。

中盤ちょっとダレたかなぁ、という感はあったけど、楽しめた。
割と詰め込んである感じなので、長かった。
2期の2週間後の話だそうだから、2期を見ていれば、感想が違ったのかなぁ。
公開3週目のレイトショーにしては、かなり入ってたけど、女性はすごく少なかった。





ネタバレ







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キリトはアスナの母親に会うことにものすごく消極的だったけど、アスナが目覚めなかった時に、アスナの両親と会ってなかったっけ?なんでそこまで嫌がるのか、ちょっと不自然だった。
大きな屋敷を見るたびに、「そういえばアスナはいいとこのお嬢さんだった…」と思い出す。

全員破滅のラストを望む悪役には、いつも思うことだけど…
自分の娘を人々の記憶から構築し直そうとしていた重村教授、もし成功して大勢の人が亡くなったら、お縄を頂戴する結末になると思うんだが、それでも人は死んだ娘を蘇らせるためには行動に移すものなのか?

ラストの戦いはALOのメンバー総出演だったけど、ええっと、どこの人だっけ?的な感じでやっぱりちょっと忘れてた…
マザーズ・ロザリオも見てないからわかんなかったし。
時間あったら復習して見に行ったんだけど、なにぶん4クール分なので3週間はかかりそう。
(タイバニの時は2クール10日くらいかかった気がする)

予習して極音上映で観に行くべき?
いやなんか終わっちゃいそうな気が…
頑張れたら極上音響でチャレンジします…

「SAO will return」ということは3期あるのね。それまでには2期全部見る。


忙しくて久しぶりにいつもの映画館に行ったら、有人カウンターがものすごく縮小していて、発券機が増殖していた…

評価:2b


ラ・ラ・ランド【極上音響上映】

監督/脚本:デミアン・チャゼル
製作:フレッド・バーガー/ジョーダン・ホロウィッツ(英語版)/ゲイリー・ギルバート/マーク・プラット
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ

出演
セブ(セバスチャン・ワイルダー):ライアン・ゴズリング
ミア・ドーラン:エマ・ストーン
キース:ジョン・レジェンド
セバスチャンの姉:ローズマリー・デウィット
グレッグ:フィン・ウィットロック
アレクシス:ジェシカ・ローゼンバーグ
ケイトリン:ソノヤ・ミズノ
トレイシー:キャリー・ヘルナンデス(英語版)
J・K・シモンズ - ビル、レストランの経営者
デヴィッド:トム・エヴェレット・スコット
ミアの母親:ミーガン・フェイ
ハリー:デイモン・ガプトン(英語版)
カルロ(ミアに執着する脚本家):ジェイソン・ヒュークス(英語版)
ジョシュ:ジョシュ・ペンス

ゴールデン・グローブ賞7部門受賞、アカデミー賞では主演女優賞、監督賞など6部門を制覇した作品。
夢を叶えようとする二人が、思い通りにいかない中で、がんばっていくミュージカル映画。

極音はうーん、音に立体感はあった。シンバルの音がクリアだった。
あとはよくわかんない。

冒頭の高速道路でのミュージカル・シーンは圧巻だった。
ぴたっと音が止まったと思ったら、また歌い出したり…長回しだと思うけど、終わると何事もなかったかのように車に乗り込んで、日常にもどってた。

明確な起承転結があるストーリーではなく、説明するようなセリフもあまりないので、状況をよく見て理解しないとならないため、ちょっと行間を読むような感じもする。
セリフを歌うところが少なく、あまりミュージカルっぽくない。
エマ・ストーンは声質がかすれっぽいこともあって、すごくうまい、とは思わなかった。
ライアン・ゴズリングのピアノはうまかった。
本編中で翌うたわれている、「City Of Stars」は耳に残るナンバーだ。


最後のロールで「Japanese folk song」っていうのが確かあったんだけど…滝廉太郎の「荒城の月」だったらしいのだが、わかんなかった。

ネタバレのあらすじ











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ミアとセブは偶然会うことが重なるが、渋滞中にオーディションの台詞の練習に没頭するあまり、なかなか発進しないミアをクラクションを鳴らして追い抜かれたり、偶然入ったジャズバーで、セブがピアノを弾いており、オーナーの「クリスマスソングを」の意向を無視してジャズを弾いてその場でクビ、近づいて行ったミアが「素敵な演奏…」と口を開いたが、無視してぶつかられたりと最悪な出会いばっかりだった。

特別なことが起こるわけでもなく、数回会ううちに気になる存在になり…
しかし、セバスチャンとの映画を見る約束が彼氏とその家族との食事の約束とブッキングしてしまう。食事の途中でセブとの約束をとり、映画館に駆けつけるが、どこにいるかわからない。あろうことか、スクリーンの前に立ちはだかってセブを探すミア。
しかし、観客は誰も怒らない…映画とは言えそれはないんじゃ?
そして、お互いの手が触れ合って…キスしようとしたところで映画のフィルムがいきなり燃え出した?
まるでニュー・シネマパラダイスのようだ。
これだけしか会ってないのにそんな気持ちになるものなのか?

映画館から「理由なき反抗」のロケ地で使われたグリフィス天文台へ行く二人。プラネタリウムを勝手につけ、宙に浮きながら歌う。
このカットは、夢なんだか現実なんだか、よくわからない演出。

二人は一緒に住むようになる。セブは安定した収入のために、友人から誘われバンドに入るが、現代風にアレンジされたジャズナンバーを演奏するバンドだった。ライブに行ったミアは、古き良き時代?のジャズを愛していたセブが、テクノちっくなジャズを演奏しているのを見て、違和感を覚える。

セブはライブツアーで各地を飛び回り、すれ違いの日々が続いていたが、ある時サプライズで戻ってきて一緒に夕食を取っているところで、「あまり会えないから寂しい」から始まって「ツアーに一緒に来ればいいのに」「芝居の稽古があるから無理」という話から、「セブは自分のやりたいジャズをやってない、それでいいの?それがやりたいことなの?」「それはミア、君が望んだことじゃないか」と言い争いになり、喧嘩別れしてしまう。

ミアはかねてより脚本を書いていた一人芝居の舞台を終えた。舞台袖で見に来た観客が「すごい大根役者」「才能ないね」と話しているのを聞いてしまう。セブは見に行くつもりだったが、来週かと思っていた雑誌?の撮影が今日であることを知り、終わってから駆けつけたが、舞台は終わっていた。
観客の言葉にショックを受けていたミアは、セブの言葉も聞かず「女優になることは諦めた。もう実家に帰る」と言って実家に帰ってしまった。

セブのもとに「ミアの一人芝居を見て、ぜひオーディションを受けてもらいたい、ミアと連絡が取れると聞いた」とオーディションの連絡が入る。
セブは、以前にミアに聞いた町の名前と向かいに図書館があるという情報だけでミアの実家を探し当て、つきあっていた頃ミアを迎えに来た時にやっていた、車のホーンをけたたましく鳴らしてミアを呼び出す。
「自分には才能がないことがよくわかった。今度落ちたらもう立ち直れない。もうオーディションは受けない」というミアに「君は怖がっている子供とおんなじだ。翌朝8時に迎えに来るから」とセブはいい、翌朝ミアはセブと一緒にオーディションを受けにLAに戻る。

ミアをオーディションに読んだのは、かつて一言セリフを言い始めたら「もういいよ」とあっさり落とした人だった。キャスティングはほぼミアで決まりで、決まったら数ヶ月パリで過ごすことになる、今日はミアに何か語ってもらいたい、とプロダクションの人に言われ、パリに住んでいた伯母について歌う。

オーディションが終わり、グリフィス天文台へ行く二人。
以前に来た時は夜でロマンティックだったが、昼に来るとサイテーな風景だとセブは言う。ミアは「オーディションには受かりっこない」と言っていたが、セブは「受かったら君はパリへ行くんだ。僕はここで仕事を続ける。お互い自分の場所で頑張ろう」と言い、ふたりはお互いの気持ちを確認する。

ミアはパリに行き女優となって成功し、別の男性と結婚し女の子を生んだ。
ある時夫婦で映画?舞台?を見に出かけるが、高速が混んでいたためとりやめ、一般道に降りる。昔ながらのジャズの音が聞こえる店に「入ってみよう」と夫に続いて偶然に入った店だったが、ミアには何か感じるものがあり、壁にかつてミアがセブの未来の店のためにと作った、「Seb's」というロゴがあるのを見つける。
ピアニストが交代し、舞台に上がって来たのはセブだった。
ミアに気がつくセブ。しばらくの沈黙の後、かつて二人で歌った「City Of Stars」を弾き始める。
曲が終わったところで夫に「もう行くかい?」と言われ席を立つミア。
店の入り口で振り返かえり、セブに向かって歩いて行くと、周りが最初のころに出会ったバーに風景が代わり、あの時はセブにぶつかられたが、今度はキスをされ、出会いから現在までの出来事が走馬灯のように流れる。うまくいかなかったことが全てうまくことが運んでいて、ミアはセブと一緒にパリに行き女優として成功し、セブはバーでピアノを弾き、二人は結婚して女の子が生まれる…

「たられば」が夢のように終わった現実の世界で、セブはピアノを弾き終わった後にミアを見る。その顔は生きて行く道は違ってしまったけれども、お互いに夢を叶えた、という、これまでの行き方を肯定するような表情に見え、セブは小さく頷いた。
セブは次の曲を引き始めた。

評価:a


モアナと伝説の海【極音上映】

監督:ロン・クレメンツ ジョン・マスカー
脚本:ジャレド・ブッシュ
製作:オスナット・シューラー
製作総指揮:ジョン・ラセター
音楽:リン=マニュエル・ミランダ/マーク・マンシーナ/オペタイア・フォアイ
アニメーター:エリック・ゴールドバーグ
コレオグラファー:ティアナ・リウファウ

声の出演
モアナ:アウリィ・カルバーリョ/屋比久知奈
マウイ:ドウェイン・ジョンソン/尾上松也
タラおばあちゃん:レイチェル・ハウス/夏木マリ
タマトア:ジェマイン・クレメント/ROLLY
トゥイ:テムエラ・モリソン
シーナ:ニコール・シャージンガー
ヘイヘイ:アラン・テュディック

一応、お姫様の冒険物語だけど(本人は否定していたが)恋愛要素をなくし、仲間との友情?のようなテーマなので、ストーリーがわかりやすく、破綻がない。

とにかく、映像がすばらしく美しい。
マウイが「髪をサラサラに保つ」と言っていたが、髪の動きが自然。特にマウイの島へ流れ着いた時に、砂まみれのモアナの髪の様子は、すごくリアルに表現していた。
海の様子(盛り上がる波を除く)や、南の島の自然など、まるで実写のよう。
時々幻想的になるところは、「ライフ・オブ・パイ」にちょっと似ていた。
が、キャラクターの肌の質感が、キューピー人形のようなセルロイドに見えてしまうのだ。この点が唯一のマイナスかも…

ミュージカルだけど、歌が不自然じゃない。
CMで何度も聞いているせいもあると思うけど、音楽もいい。
タマトアは遊び心満載、って感じだった。ちょっと歌が長かったけどね。
そして、クライマックスでのモアナの歌は、すごく美しかった。
同じ極上音響なのに、ラ・ラ・ランドとの違いは何なんだろうか?と考えたが、私の耳が肥えてないから?それともお金の掛け方なのか、「演奏」と「歌唱」の違いなのか…
ちなみに、ここのサイトを読んでふーーん、そうなのかぁとちょっと思った。

ココナッツの海賊のカカモラとの戦いは、コミカルでスピード感があって楽しい。
確かにマッドマックスぽいかも…
(マッド・マックス 怒りのデスロードは、飛行機の中で見たが、設定を始めちょっとついていけなかった…)

島でのココナッツの歌とダンス、海での合戦?のカメラワークはダイナミックで、これは実写ではできないCGならではの演出だった。
モーゼの十戒みたく、海が割れてくところも。
あと、マウイの体のタトゥー。
ミニマウイが愛嬌があって、楽しかった。
全てのタトゥーをじっくり見て見たいかも。

鶏のヘイヘイだけが冒険についてきて、子豚のプアがついてこなかったのは意外だった。





ネタバレ







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モアナの先祖は旅人(ボイジャー)だったわけだけど、山のてっぺんに置かれた石の数だと、少なくとも2〜3百年はモトゥヌイで暮らしていたと思われるのに、隠されていた船は新品同様。不思議…

そしてマウイに会うまではおまじないのように「私はモトゥヌイのモアナ」と繰り返していたが、この島名に何か意味でも?と思ったがそんなこともないようだった。
最後には「私はモアナ」となっていたけど。

海に愛されている割には、手助けしてくれないことも多く…
最初からテ・カァにやられないように送ってくれてもいいんじゃ?

モアナがテ・カァに歌いかけるところは、本当に美しい音だった…
心が戻って、元の姿に戻ったテ・フィティの顔は、モアナににていると思った。

海が安全になり、モトゥヌイの人たちはまた新天地を求めて旅立つボイジャーに戻った訳だが、「故郷はその気になればいつでも帰ってこれる」というような歌詞で歌っていたけど、そんなに簡単にいくもの?
村長の証の山頂には石ではなく貝殻が載っていたので、モアナが村長を継いだということだと思うが、両親はモアナを残して新天地へ旅立ったということなのかな。

評価:2b


ひるね姫〜知らないワタシの物語〜

原作・脚本・監督:鍵山健治
音楽:下村陽子
キャラクター原案:森川聡子
作画監督:佐々木敦子/黄瀬和也
演出:堀元宣/河野利幸
アニメーション制作:シグナル・エムディ
製作:岩佐直樹/櫻井圭記

森川 ココネ(エンシェン):高畑充希
佐渡 モリオ:満島真之介
森川 モモタロー(ピーチ):江口洋介
渡辺 一郎(ベワン):古田新太
志島 一心(ハートランド王):高橋英樹
ジョイ:釘宮理恵
雉田(タキージ):前野朋哉
佐渡(ウッキー):高木渉
森川 イクミ:清水理沙

2時間弱の尺だが、内容がぎっしり詰まっているので、割と長く感じた。
ストーリーの出だしは何だかよくわからないまま進んでいき、夢と現実が本当にごちゃ混ぜになっていく。

「昼寝が大好きな」とあったが、大好きというよりは、眠くして仕方がなく寝てしまった、が正解。

最初は子供に話して聞かせるようなおとぎ話が語られるが「24時間体制の工場で2交代制で働ているが、渋滞が激しく朝5時に家を出ても遅刻し、そのぶん給料をさっ引かれる」と、やけにリアル。いったいこのおとぎ話がなんのために語られているのかが、かなり話が進まないとわからない。
絵も割とシンプルだし序盤は本当に女子高生の日常がのんびり描かれているので「これってもしかして子供向けだったの?」と思って見ていると、話が進んでいくにつれて現実の色々なしがらみが絡んでいって、複雑なストーリー展開になっていった。

エンシェンは魔法が使える設定だけど、それが「魔法のタブレットに入力して、『送信!』」でできちゃうなら、タブレットを手に入れれば誰でも魔法を使えちゃんじゃないの?

この「魔法」のタブレットを巡って、ココネの父モモタローが警察に捕まってしまうのだが、一企業の重役クラスが何故警察をアゴで使えるのか?謎だ。

岡山の児島が舞台だけど、年が明けてからほぼ毎週、新幹線で岡山から瀬戸大橋を渡って愛媛まで出張に行っていたので、軽いデジャヴを感じた…(飛行機だと松山空港を利用するが、松山から目的地までの電車の乗り継ぎが悪いため、飛行機でも新幹線でもかかる時間は変わらないのだった)
ココネの家は瀬戸大橋のたもとあたりのようなのだが、遊園地の下あたりってことなのか?
児島って、アンパンマン号に乗っていると、「車掌と運転士が変わる駅」という認識しかない。

そして、なぜ岡山空港を使わず、わざわざ瀬戸大橋を渡って高松空港を利用したんだろう?便数が少し多いから?
2時間近くフライトが空く場合は新幹線の方が早いと思うんだが、これは瀬戸大橋の上を飛んで渡りたかったからですかね?

高畑充希は下手じゃないんだけど、「高畑充希」なんだよね…
高橋秀樹、江口洋介はぜんぜんわからなかった。

「知らないワタシの物語」のタイトルそのままの内容だが、「人狼」のように、見終わってから暗示していることを考えさせられるアニメ。









ネタバレ











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「東のエデン」はもしかしたらあり得るのかもしれない、というレベルだったが、「ひるね姫」は現実には絶対起こり得ない、夢と現実がごっちゃになるという設定だ。

ココネはオリンピックの年に高校生だから、今現在は13歳くらい?
iPadは2010年の発売だから、ココネが生まれた頃には未発売のはず…微妙に年が合わないのでは。

また、現実世界でおじいちゃんにあった時、ジョイを抱えていたにもかかわらず、おじいちゃんはジョイに気がついてなかったようだ。
夢の中でジョイが嬉しそうにハート王に手を振った時に初めて気がついたようだった。
ここでは「エンシェン」とは言わず「イクミにあげたぬいぐるみだ!」と言っていて、夢に現実が入ってきているし…

エンシェンは小学生くらいで、幼いココネかと思いきや、実は母親のイクミだった。父親から母親の話を聞いたことがない、と思っていたココネだったが、父はおとぎ話にたとえて母のことを話してくれていたのだ。
しかし、おとぎ話にたとえて話すって、すごく難しくない?

鬼に襲われ、それを阻止するために魔法のタブレットを手にエンジンヘッドへ忍び込むが、魔法と魔法使いを嫌うハート王の部下に、エンジンヘッドの電源を落とされてしまう。もう一度電源が入るよう、エンジンヘッドの上部へ登り、飛び出た装置?のロックを外し、電源を入れることはできたが、エンジンヘッドの側面から滑り落ちていき、モモタローが掴んだジョイが持っているタブレットをなんとか掴んでぶら下がっていたが、力尽きて手が滑って落ちていくときにエンシェンはイクミの姿に戻る。イクミは「困った時に必ず助けに戻ってくるから、それまでココネをお願いね」と言って落ちてしまう。

ハーツの中にはイクミコアでも埋まっているのか、イクミの魂はハーツの中に戻ってきた。
そうでなければ、ココネが夢の中では宇宙に行ったモモタローを助けているはずが、現実では志島自動車の社屋の吹き抜けのてっぺんからモモタローと一緒に落ちそうになっているところに、巨大なバルーンの人形を引っ張って走りこんでくるはずがない。
大阪で渡辺の部下に追われていた時、的の目を逸らすために「家に帰るように自動運転を設定した」が、岡山へは戻らなかったので、ハーツにとっての家って志島自動車の社屋だったのかなぁ。

どっかで見たことがあるようなオマージュがいっぱい。
ガラスの塔はカリオストロの城だし。
エンジンヘッドはどこかで見たようなデザインだが、羽が生えた姿はガンダムかと思った。
鬼との戦い方はエヴァだが、鬼のデザインはスクールガールストライカーズだと思った。
そのまま宇宙へ飛んでっちゃて、戻ってこれないからハーツで迎えにいくのはいいが、ココネは宇宙服も酸素ボンベもなくそのままハーツに乗って飛んでいっちゃうし…

渡辺の目的は「自分が社長になりたいが、会社が傾くのは困るので、オリンピックの自動運転は成功させたい」とすごく現実的なのも何だかちっちゃいなぁと思ってしまう。
ラストで岡山の家で親子3代でココネの進学の話をしながらスイカを食べている姿は、ちょっと拍子抜け。20年の月日とイクミの考えが正しかったことが、一心の気持ちを和らげたんだろうけど。

イクミの死因は多分交通事故ですね。
父親との確執でゆくゆくは社長を継ぐはずが会社を辞め、モモタローの工場でひそかに志島自動車の同志の社員たちと自動運転の技術を開発していたが、エンディングで、自動車に乗って発進して行き、本編中では事故は描かれていなかったけど、おそらく事故を起こし、タブレットのガラスはその時割れた。
イクミは即死ではなくまだ息があり、モモタローに「ごめんなさい。ココネをおねがい」と言って息を引き取った…ってとこかな。

監督が鍵山健治、だけしか知らないで見に行ったけど、磯光雄とか黄瀬和哉、西尾鉄也が原画で参加してたのか…
エンディングでモモタローとイクミの馴れ初めから結婚式、ココネが生まれて事故の直前までが流れるので、ロールの文字なんか追っている場合ではなかった。

高畑充希が歌う「デイドリーム・ビリーバー」はすごく良かった。歌詞もこの映画のために書かれたのかと思うくらい、ぴったりだった。

dスタだったが、スピーカーの入れ替えは終わっていたようで、低音がよく響いた。

ところで、スカーレット・ヨハンソンのゴースト・イン・ザ・シェルのトレーラーが流れたが…
素子のボディは墨入れされたボディタイツみたいで、どう見ても人工のボディには見えない…

評価:2d


LION 25年目のただいま

原作:「『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』」サルー・ブライアリー/ラリー・バットローズ(静山社刊)
監督:ガース・デイヴィス
脚本 ルーク・デイヴィーズ
音楽:フォルカー・ベルテルマン/ダスティン・オハロラン

出演
サルー:サニー・パワール(幼児期)/デヴ・パテル(青年期)
ルーシー:ルーニー・マーラ
グドゥ:アビシェーク・バアト
スー・ブライアリー:ニコール・キッドマン
ジョン・ブライアリー:デヴィッド・ウェンハム
ミセス・スード:ディープティ・ナバル
カムラ:プリヤンカ・ボセ
マントッシュ:ディヴィァン・ラドワ

89回アカデミー賞にて、助演男優賞、助演女優賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞にノミネートされた作品。
何度も流れるテーマ曲?は、どこかで聞いたことあるような音楽なんだよなぁ・・・
何だったんだろう?気になるが思い出せん。

インドで母、兄、妹と暮らしていた5歳のサルーが迷子になり、オーストラリアの養父母に育てられて25年目、自分の家を探し当てるという実話がもとになっている。

サルーが迷子になったのはまぁ、自業自得・・・
夜通し働く仕事だから子供には無理だって言っているのに「働けるから連れてって」
現地の駅についたら、案の定「眠いから起きたくない」
駅のベンチで待っているように兄に言われたのに、扉が開いていた電車に乗り込み、寝込む→遠方へ運ばれる

この迷子になった経緯に以外と長い時間を割いている。

1600km離れたカルカッタまで運ばれ、電車を降りたらすごい人、おまけに言葉も通じない。
なすすべもなく浮浪児に混じって寝ていたら、人さらい(これは保護しようとしてるのか、さらって売り飛ばそうとしているのかはわからない)が現れ、さらわれそうになるが、なんとか走って逃げ延びる。
あの子供たちは売られてしまったんだろうか?

親切な女の人に助けてもらったと思ったら、売り飛ばされそうになって逃げ出し、浮浪者となって寺院のお供え物を食べたりしていたが、若いビジネスマンが警察に連れて行ってくれ、新聞広告を打ったりしたが親は見つからず、施設のようなところに入れられてしまった。

施設に出入りしている人を通じて、オーストラリアの養父母へ貰われていくわけだが、スーとジョンがなぜ遠いインドから養子をもらうのか、施設に大勢いる子供の中で、なぜサルーを選んだのかがわからない。
物語の終盤で、スーが養子をもらうことにした理由をサルーに話すが、「でもなぜインドから?」なのかは不明。

サルーを養子にして1年後、夫妻は新たな養子をインドから迎える。
その時のサルーの顔がちょっと悲しそうだった。
弟となったマントッシュは、精神的に不安定で、自傷行為をするなど手がかかる子供だった。
サルーはもう一人養子を迎えることは当日まで知らないようだったし、事実がそうだからそのまま描いたんだろうけど、仲がよくない弟との関係はいらなかったような気がする。

サルーはオーストラリアの養父母のもとで大きくなり、大学へも行かせてもらえた。
大学では友人に生まれを聞かれ、少し考えてから「カルカッタ」と答える。「インド人なのか」と聞かれて「養子になったから・・・オージーだ」と答える。

インド人のホームパーティで、かつては普通に食べていたインドの食べ方を習いながら食べるサルー。
ビールを取りに行くと、ふと揚げ菓子が目に止まる。それは幼い頃石炭をかっぱらって売ったお金で兄に「買って」とせがんだが、食べられなかった揚げ菓子だった。
揚げ菓子を食べると、幼い頃の記憶が断片的に蘇って来て、自分が迷子になり帰れなくなってしまったことを思い出す。

友人にそのことを話すと、「Google Earthを使えば、世界中の景色が見られる、かつて住んでいたところで覚えていることはあるか」と聞かれ、近くに駅があり、給水塔が立っていたことを話す。
当時の列車の速度と電車に乗っていた時間でおおよその距離が割り出せるから、目星をつけて探して見たらどうか、と。
サルーはその提案を断るが、やがて取り憑かれたようにPCに向かって生まれ故郷がどこかを探し続ける。

大学で知り合ったガールフレンドのルーシーは、実家にも連れて行くような仲になったが、彼女が養母に故郷を探していることを言おうとすると、口止めをし、そのことで諍いになってしまった。

自分のルーツを知りたいと思うのは自然だし、養母に話すことがそれほどまずいこととは思えないのだが、兄グドゥの幻覚を見るほど必死で探しているのに、絶対に養母に言おうとしないのが、不自然に感じる。

そしてこの探しているシーンがかなりダラダラと続く。
在学中に生まれ故郷を探し始めたのだが、養母に「仕事も辞めてしまって」と言われたところをみると、探して続けている間に大学を卒業し就職したがやめてしまったらしい。
探し始めてから実母と会えるまで5年かかっているようだ。
それまでどうやって生計立ててるの?ニート?

ルーシーに白状するような感じで「何不自由ない暮らしをさせてもらって、今の生活に満足しているが、実母を探すことは養母を裏切ることだ。だが、いなくなった自分を今も必死で実母や兄が探しているかと思うと・・・この気持ちは君にはわからない」と言葉で説明されたが、そうは見えない・・・

周りの人との関係が悪化して行くため、故郷探しをやめようとしたが、何気なくGoogleを操作していたら、偶然見覚えのある風景が目に入り、それで故郷がみつかった、というのも何だか出来過ぎ。

養母が部屋を訪ねて来て、部屋の壁にインドの地図が貼ってあり、サルーが生まれ故郷を探していることを知ったが、責めることはせず、探しだして母親に立派になった自分を見せてあげなさい、と言われる。

サルーが25年ぶりに故郷を訪ね、記憶を辿って自分の家への道を歩いて行く。周りを歩いている人たちは、サルーをまるで珍しい外国人を見るように眺めていた。
自宅だった建物は、屋根が抜け落ちヤギが飼われていた。
サルーはヒンディー語を話せなくなってしまっていたため、その辺の女性に英語で訪ねるが、拒絶するような態度を取られる。年配の男性に訪ねると、片言のような英語で昔住んでいたサルーであることを確認され、ついてくるように言われる。
歩いて行くと、村人がだんだんと集まってき、道の向こうから女性が列をなしてやってきた。先頭にいる手を引かれた女性が、実母だった。

実母はサルーが戻ってくると信じ、引っ越すことはせずにずっとここで待っていたという。
妹のシェキラとも再開したが、兄のグドゥがいない。案内してくれた英語が話せる男性に聞くと、「グドゥはいない。天に召された」と説明された。

兄のグドゥはサルーが電車に乗って運ばれて行った日に、別の電車にはねられて死亡していたのだった。
母親は同時に二人の息子を失ってしまっていたのだ。幼いサルーも大変だったろうが、ただでさえ苦しい暮らしでがんばっていたのに、突然二人の息子がいなくなり、小さな女の子と二人で生きて行くのはさぞかし大変だったことだろう。
自宅からは電車にただ乗り?して移動した駅だったため、サルーは電車に乗っていなかったとしても、兄が戻って来ずに同じような境遇になってしまったのかもしれない。

ところでタイトルが何でライオンなんだ?
と思ったら、サルーの名前は本当は「シェルゥ」といい、意味は「ライオン」だからなのだった。
エンディングに実は・・・というような感じで明かされ、サルー本人とその実母・養母が再開する様子が映し出された。

ニコール・キッドマンは年を取ったなぁ。
最終上映だったけど、20人くらいしか入ってなかった…
そしてgスタは前と比べて音が良くなった。

インドでは年間何万?何十万?だかの子供が行方不明になっているそうで、最後にユニセフ協会の案内?が出た。

評価:1g


ゴースト・イン・ザ・シェル

原作:士郎正宗『攻殻機動隊』
監督:ルパート・サンダース
脚本:ジェイミー・モス(英語版)/ウィリアム・ウィーラー/アーレン・クルーガー
製作:アヴィ・アラッド/アリ・アラッド/スティーヴン・ポール(英語版)/マイケル・コスティガン
製作総指揮:石川光久/藤村哲哉/野間省伸/ジェフリー・シルヴァー
音楽:クリント・マンセル/ローン・バルフェ(英語版)
製作会社:ドリームワークス/リライアンス・エンターテインメント/アラッド・プロダクションズ/上海電影集団公司(中国語版)/フアフア・メディア

出演
ミラ・キリアン少佐 / 草薙素子:スカーレット・ヨハンソン(田中敦子)
バトー:ピルー・アスベック(英語版)(大塚明夫)
荒巻大輔:ビートたけし
オウレイ博士:ジュリエット・ビノシュ(山像かおり)
クゼ:マイケル・ピット(小山力也)
トグサ:チン・ハン(山寺宏一)
ラドリヤ:ダヌーシャ・サマル(山賀晴代)
イシカワ:ラザルス・ラトゥーエル(英語版)(仲野裕)
サイトー:泉原豊
ボーマ:タワンダ・マニーモ
カッター:ピーター・フェルディナンド(英語版)(てらそままさき)
ダーリン博士:アナマリア・マリンカ(加納千秋)
リー:ダニエル・ヘンシャル(英語版)(坂詰貴之)
ダイヤモンド:カイ・ファン・リエック(加藤ルイ)
ハイリ(少女の母親):桃井かおり(大西多摩恵)
少女:山本花織(内野恵理子)
ヒデオ:アンドリュー・モリス(今村一誌洋)
リア:アジョワ・アボアー(柳瀬英理子)
大統領:クリス・オビ(乃村健次)
芸者ロボット:福島リラ(福島リラ)
トニー:ピート・テオ(英語版)(蜂須賀智隆)
オズモンド博士:マイケル・ウィンコット(広田みのる)

「ゴースト・イン・ザ・シェル」をハリウッドで実写化。
「ゴースト・イン・ザ・シェル」ではあるが、「攻殻機動隊」ではなかった。ストーリーは全く違うのに、押井版「攻殻機動隊」のシーンが部分的に見事に実写化されてはめ込まれているのはすごいと思った。

ストーリーは全く違うし「草薙素子」として登場していないので、少佐がスカーレット・ヨハンソンでも全然問題なし。
左右対象の整った顔立ちなので、「人工的に作られたボティ」としては合ってるんじゃないか?
あのヘアスタイルはなんか変…と思ったけど、見ているうちに気にならなくなった。

バトーは目がサイボーグ化される前でも「バトーだ!」とすぐわかる体格とヘアスタイル。英語を話してるので違和感はない。トグサは「これがトグサ??」といまいちしっくりこないが、あまり出番がないのでそれほどでも。
イシカワも外見でわかるが、やっぱり出番はそんなにない。

ビートたけしは荒巻部長というよりは、ヤクザの親分だった。たけしは「日本語なら」と言う条件で出演したらしいが、桃井かおりは英語なのに、なんでたけしだけは日本語なんだ?と思ってしまう。セリフも棒読みっぽいし・・・
そしてたけしの口から出る「少佐」に違和感を感じる。
桃井かおりは「女優よ」オーラがなく、良い感じだった。
吹き替え版で見たら、もっと世界に入り込めたのかなぁ・・・しかし字幕版しかかかってなかったのだ。

街並みは高層ビルに巨大な人間が広告としてホログラムで映し出されているのだが、コピー商品が溢れる中国らしい安っぽさを感じた。

ストーリーは・・・
予習していったのが良くなかったのかもしれない。
押井版のどの人になるのかを考えつつ見たからなのか、何を突き止めようとしているのかが、最初わかりづらかった。

しょっぱなから「プロジェクト2571」とか出てきたが、人形使いとは番号違う気がする(人形使いは2501だった)…少佐がビルからダイブしてなんとビルに突っ込んだところは、狙撃する相手がなんか違う?
というところから、どうもストーリーは違うようだ・・・と悟った。










ネタバレのあらすじ








↓↓↓
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全身義体のミラには過去の記憶がなかった。
衝突事故で両親は亡くなり、ミラは義体に乗り換えることで生き延びた、とオウレイ博士に聞かされていた。
時折、幻なようなものが見え、記憶がないことに苦しんでいたが、オウレイ博士には「幻が見えるのは、脳が義体に馴染んでないために起こる不具合。過去よりもこれからどう生きて行くかが大事」と言われる。
9課に配属されたミラは「少佐」と呼ばれ、任務でアフリカのある国の大統領とサイボーグメーカー、ハンカ社のオズモンド博士の会食を監視していたが、料理を運んでいた芸者ロボットがいきなり発砲し始める。オズモンド博士は電脳ハックを受け、芸者ロボットに殺されてしまった。少佐は突入し壁をクモのようによじ登って逃げる芸者ロボットを撃ち落とす。「殺さないで・・・」と懇願されたが少佐は芸者ロボットを撃つ。「ハンカと組めば破滅する・・・」という低い声が聞こえ、芸者ロボットは沈黙した。
自分の部屋で目覚めた少佐。いるはずのない、猫の幻影が一瞬見える。首の後ろから薬を注入し、出勤する。

9課では荒巻部長、バトー、トグサ、イシカワなどと芸者ロボットをハックした「グゼ」の対策を練っていたが、少佐とバトーは芸者ロボットが保管されているハンカ社へ赴く。ロボットは少佐がメチャメチャに破壊してしまったため復元に手こずっていた。電脳にダイブして手がかりを得る、と主張する少佐に対してロボットを復元を担当していたダーリン博士は危険だからやめろというが、少佐は隙をついて電脳にアクセスし、ダイブする。「サウンド・ビジネス」というクラブの奥の部屋で「グゼ」の幻を見るが、逆ハッキングをされバトーが回線を切る。
野良犬のパセット・ハウンド(野良にしてはきれいすぎ)にえさをあげるバトーに犬がなついているのを見て「えさをあげるからでしょ」と言う少佐。「サウンド・ビジネス」へ着くとバトーは入り口で止められるが、少佐は「友達がここで再プログラムを受けた」と言い、奥まで潜入していった。地下のVIPルームみたいなところで客なのかオーナーなのかわからないが、手錠をかけられ拘束される少佐。踊れ、と言われ拒否すると電流を流されたりしたが、ミラは頃合いを見計らって男たちを倒し、バトーと合流して地下の奥へ進んでいき、そこでグゼと対面するが、それはホログラムだった。仕掛けられた爆弾に少佐が気づくが、逃げる前に爆発し、少佐の義体は破壊され、バトーは目を失い義眼となった。
入院中のバトーの代わりに犬にえさをあげる少佐。その後町中をふらついていると、クラブか何かの店頭で客引きをしている女性に近づき頬を撫でて「その姿は義体なのか」と尋ねる。全て化粧だ、と答えると少佐は化粧を落とすように言い、女はつけまつげをとり化粧を落とした姿を見せる。

ハンカ社のカッターは少佐が勝手に芸者ロボットの電脳にダイブしたことを知り、荒巻に抗議するが、荒巻は「総理大臣の指示だ」と突っぱねる。
ハンカ社の関係者が殺される事件が相次ぐ。引き続き芸者ロボットの復元の作業していたダーリン博士は「プロジェクトNo.2571」というデータを見つけるが、侵入してきたグゼに殺されてしまう。博士が見つけたデータから、少佐はプロジェクトNo.2571の関係者が殺されていっていることを知り、次のターゲットはオウレイ博士だったため、博士の元へ急ぐ。
クゼはゴミ収集車の清掃員の脳をハッキングし、オウレイ博士の乗った車と事故を起こすが、クゼがオウレイ博士を殺す前に少佐が駆けつけ、ドライバーの一人が光学迷彩を着て逃げていくのを追う。市場の中をかけていく犯人の先回りをし、建物の屋上へジャンプする少佐。光学迷彩を脱ぎ捨て、川の手前、水が溜まった広場のようなところまで逃げてきた犯人は、水音で振り向く。光学迷彩を着た少佐は犯人をめった打ちにし、バトーに止められる。

清掃員は記憶を消され、別の記憶を刷り込まれていた。少佐が尋問している間に再びクゼにハックされ、少佐は逆探知に成功したが、清掃員は首つり自殺をしてしまった。
少佐とバトーは探知した場所へ行くと、そこには何十人もの白塗りの人間が輪になって座り頭にケーブルをつながれていた。中心にクゼがおり、それはクゼが構築した人間のネットワークだった。
クゼは自分が「プロジェクトNo.2571」であり、ミラ同様ハンカ社で義体にされたが失敗し、まだ意識がある状態で「廃棄処分する」と研究者たちが話しているのを聞き、逃げ出して来たことを話す。また、ミラが処方されている薬は記憶を消す薬であるため、その薬は使用しないように言われる。

真実を知る為に少佐はオウレイ博士の元へ向う。自室にいた博士を問い詰めるとミラの前に98体の失敗作があり、ミラは初めての成功例で、ミラが聞かされていた両親の記憶は嘘であることを白状する。「あなたは貴重な美しい成功例」とオウレイ博士はミラに話しかけるが、少佐は姿を消す。

海に潜っていた少佐が船へ上がると、バトーが待っていた。「誰も信じられない」という少佐に対しバトーは「俺は信じてるよな」と言う。船が岸に着くと少佐はハンカ社の工作員に捕らえられてしまった。カッターはオウレイ博士に少佐を処分するように言い、薬を渡すが、オウレイ博士はカッターにわからないように別の薬を注入し、「あなたの過去がある。行ってみるといい」と鍵を渡して少佐を逃す。その様子をガラスの向こうで見ていたカッターは慌てて部屋に飛び込んで来るが、少佐はすでに逃亡していた。カッターはオウレイ博士を射殺する。

渡された鍵には「アヴァロン・アパート1912」とあり、少佐がそのアパートに行くとそこには少佐が幻影でみた猫がおり、その部屋から出て来た女性が少佐を見て、寄っていかないかと誘う。
部屋でお湯を沸かしながらその女性は自分には娘がいたが、抗議活動をしていて、家を飛び出しそのような若者が集まる町外れで暮らしていた。しかし1年前に警察から「自殺した」という連絡があったが、自分は信じてない、と話す。娘は素子と言い、娘の部屋はそのままにしてあるのだという。部屋の扉には「MOTOKO」のプレートが掛かっていた。なぜか猫は少佐に懐いて来て、その様子を見てた女性は、「あなたが私を見る目が、娘とよく似ている」と言う。少佐は部屋を後にしたがその女性は「また必ず来てね」と言って見送る。

電脳通信でハンカ社について荒巻部長に報告する少佐。それを傍受していたカッターは、暗殺者を9課に向かわせる。荒巻は襲って来た暗殺者を殺し「羊を狩るために兎を寄こすな」と言った。
少佐は女性の娘が暮らしていたという、町外れの場所へ行って見ると、そこには幻影で見たお堂のようなものが建っていた。あたりを見回っていると相合傘のように刻まれている「MOTOKO」「HIDEO」の文字を発見する。闘争で燃え上がるお堂の中で「モトコ」と呼ばれる自分と「ヒデオ」と呼びかけ引き離される男の記憶を思い出す少佐。そこへクゼが現れ「仲間にならないか」と誘う。
カッターが多足戦車の出動と、上空のヘリにもクゼと少佐の狙撃を命じ、現れた多足戦車少佐とクゼに砲撃を始める。少佐は2階の通路のような場所を砲撃を避けて走り出す。バトーも到着し戦車に発砲するが効果がない。戦車はクゼの頭を掴んで振り回し、頭を潰そうと圧力をかける。少佐は戦車の上に登り、ハッチをこじ開けようと全身に力を込め、人工筋肉がはじけ腕がちぎれたが、ハッチを開いて戦車の動きを止めた。戦車のアームがクゼの頭を離し落下したクゼの横に少佐が横たわる。クゼは仰向けのまま少佐に「自分たちのネットワークに参加して一緒になろう」と提案するが、少佐は「自分の居場所はここだ。ここで生きて行く」とその申し出を断った。クゼは「いつもそばにいる」と言い少佐の方へ顔をむけ、痙攣したように白目を剥く。次の瞬間、上空のヘリがクゼを射撃し、そのヘリをサイトーが撃ち落とす。バトーが少佐を助けに来て「名前はなんだ?もう一つ名前があるんだろう?」と尋ねる。「モトコ・・・」と答える少佐。
荒巻は少佐にカッター殺害を行うことを電脳通信で確認し、カッターの元へ赴き、総理大臣から「殺人及び国家反逆罪」が出ていることを伝え、「首相の許可は取り付けた」とカッターを射殺した。

墓の前に佇む少佐。墓には「MOTOKO KUSANAGI」と刻まれていた。少し離れたところにはアヴァロン・アパートで会った女性がいて、その女性に「もうここにはこなくていい」と話し、抱き合った。

ビルの屋上でスタンバイしている少佐。荒巻部長から「すべて任せる」と指示が出、光学迷彩でダイブする。

♪吾が舞えば 麗し女 酔いにけり・・・ の謡(リミックス版)が流れてエンドロール


ミラの前には98人の失敗があり、ミラが最初の成功例だった。
この貴重な成功例を、なぜ9課に配属したんでしょうかね?壊れる可能性大じゃないですか?
また、記憶を消されているとはいえ、子供の頃から使っていた言語を全く忘れ、違う言語を刷り込むことなんかできるのか?

たけしの「首相云々」のセリフは唐突に出て来て「9課の部長って、そんなに偉い部署だっけ?」と違和感を感じた。
また、娼婦みたいな女の化粧を落とさせるカットは、何のためにあるのか分からない。
自分には娘がいる、と言った清掃員、同僚に「娘の写真見るか?」と渡そうとしたカットがなかったので、「これがお前の娘か?」と自分の写真(ホログラム)を見せるカットがやや意味不明かも。

原作と押井版の攻殻機動隊の草薙素子は自ら望んで最新型の義体に入り9課の任務についていたが、ミラは体制に逆らってはいたが普通の民間人が強制的に電脳化され記憶を消された状態。
「たとえそれが幻であったとしても人は記憶によって生きるのだ」は共通だと思うが、攻殻機動隊の素子は「過去の記憶だけではなく、電脳がアクセスできる膨大なネットも自分を構成する一部」と言い、現在の状態から「さらなる高みへシフトする」ことを無意識に望んででいた。
しかしミラは「自分とは何だったのか?自分のルーツ、かつての存在」を追い求めていて、話の次元的に全く違う、と感じた。
自分は何なのか?を探そうとするのは同じだが、結局ミラは「攻殻機動隊」の素子とは全く反対の道を選んだ。

再現されていたカットは
・オープニングの素子がロボットの骨格から皮膚をまとわせ、剥がれ落ちて行くカット。これはCG使えば簡単そうだけど
・ビルの屋上から光学迷彩で飛び降りるカット ほぼそのまま再現されている。
・素子の部屋のシーン 猫以外はカットはほぼ割り同じ
・清掃員をハックした殺し屋が、市場を逃げていくところから、川の横の水が溜まっているひらけた場所で、光学迷彩の素子にやられるカット。ここはカット割りまで本当にそのまま再現されていたが、建物の屋上へジャンプしたカットでは、アニメと違い重みで床が凹むことはなかった・・・
・素子が海に潜り、バトーが船で待っているカット。高層ビル街は雰囲気がうまく出ていた。押井版では素子がバトーをダイビングにつきあわせていたが、実写版では潜っているところにバトーがやってきたことになっている。船は1槽しかなく、バトーはどうやって来たのだ?
・廃墟になった博物館で素子が狙い撃ちされるカット。なんで2階のようなところをわざわざ駆けてくんだ?と思ったら、博物館のカットを再現する為だったのか・・・
・戦車(本編では多足戦車と言っていた)の上部をこじ開けようとしてボディが壊れて行くカット。ほぼ同じ。
・戦車に頭を掴まれ、振り回されるカット。掴まれるのは素子ではなくクゼだったが・・・ヘリからの狙撃の前に、クゼはミラの横に横たわり、ミラの方へ顔を向けたが、これは無理やり再現した感が・・・クゼが白眼を剥いたので、ミラに融合したのかと思ったけど、そうではなく電源が切れただけ?
・タイトルロールで流れるテーマ(謡)。アレンジされていた

評価:2e


SING(シング)【極上音響上映】(吹き替え版)

監督:ガース・ジェニングス
脚本:ガース・ジェニングス
製作:クリス・メレダンドリ(英語版)/ジャネット・ヒーリー

声の出演
バスター・ムーン:マシュー・マコノヒー(内村光良〈ウッチャンナンチャン〉)
ミーナ:トリー・ケリー(MISIA)
アッシュ:スカーレット・ヨハンソン(長澤まさみ)
ジョニー:タロン・エガートン(大橋卓弥〈スキマスイッチ〉)
グンター:ニック・クロール(英語版)(斎藤司〈トレンディエンジェル〉)
マイク:セス・マクファーレン(山寺宏一)
ロジータ:リース・ウィザースプーン(坂本真綾)
ミス・クローリー:ガース・ジェニングス(田中真弓)
エディ:ジョン・C・ライリー(宮野真守)
ナナ・ヌードルマン:ジェニファー・サンダース(英語版) (声) / ジェニファー・ハドソン (歌)(大地真央)
ランス:ベック・ベネット(英語版)(谷山紀章)
ビッグ・ダディ:ピーター・セラフィノウィッツ(英語版)(石塚運昇)
ベティ:タラ・ストロング(水樹奈々)
カエル3人組:柿原徹也〈カイ〉/村瀬歩〈ハウィー〉/木村昴〈リッキー〉)
ウサギ3人組:(重本ことり、佐倉綾音、辻美優)
ダニエル:(河口恭吾)
リチャード:(MC☆ニガリa.k.a赤い稲妻)
ワニ:(Rude-α)
レイ: (宮野真守)
ミーナの祖父:ジェイ・ファロー (手塚秀彰)
ミーナの祖母:ラレイン・ニューマン(英語版)(巴菁子)
ミーナの母:レスリー・ジョーンズ(くじら)
ノーマン:ニック・オファーマン(奈良徹)
ボス熊:ジム・カミングス(三宅健太)
ジュディス:リー・パールマン(鶏冠井美智子)

唯一、歌のパートも日本語吹き替えが許されたという日本語版で見にに行ったが…
映画でコンサートをしたかったんだな、と思った。とにかく歌うシーンを映画にしたくて、話はとりあえずそれらしく作って繋げ、あとはウッチャンの話術?でなんとかしている感じですかね?
寂れた劇場を立て直すという話だが、とにかく、ストーリー展開がつまらなく、話に中身がない。感動もあまりない。
話の中盤は眠くなって来てしまい、最後のコンサートで目が覚めた。

使っている音楽はバリバリ洋楽だし、日本語で吹き替えになっている歌は数曲だし、子供は見ていて夢中になれるのかなぁ…
ビートルズはともかく、あまり音楽聞かないので、ものすごくヒットした曲か、有名なクラッシックか、フィギュアスケートで使われている曲しかわからない。
きゃりーぱみゅぱみゅの「にんじゃりばんばん」は一瞬だけだったし。
体を張ってスポンジをしているカット、なんでここでネッスンドルマ?と思った。私は勝つ!(いつかまた立ち上がれる)ってこと?

特に素晴らしかったのは、ナナ・ヌードルマン(大地真央)、ミーナ(MISIA)、ジョニー(大橋卓弥)の歌。
MISIAは普通に話す声もあんな感じなのか?ミーナの引っ込み思案の喋り方と歌声のギャップがすごい。
長澤まさみ、斎藤さんもなかなかうまかった。
柿原徹也と山寺宏一はいろんな役に使い回し?されていた。

ホタルイカ?のステージは綺麗だったが、水槽が壊れて水で全てが流されるところは、震災の津波を思い出した。
劇場が崩壊してしまったところはすごかったけど。

ミーナは、あの鼻で口が見えず、鼻の前にマイクを立てて歌っていたが、あれで声がよく聞こえるのだろうか?
ネズミのマイクは超イヤな奴だった。チップ?の額に腹を立て財布を巻き上げるって、犯罪でしょ?
えーこれって犯罪じゃ?と思うシーンがちらほら…
ムーンも隣のビルから電気を拝借したり、水槽の水は給水塔から勝手にもらって来るし。
ジョニーの父親も金塊強奪の上、刑務所へ収監、そして脱獄するし。

歌唱力の良さでおまけの3点。

評価:1f


美女と野獣【極上音響上映】(実写版)

監督:ビル・コンドン
脚本:スティーヴン・チョボスキー(英語版)/エヴァン・スピリオトポウロス
製作:デヴィッド・ホバーマン(英語版)/トッド・リーバーマン(英語版)
製作総指揮:ジェフリー・シルヴァー/トーマス・シューマカー/ドン・ハーン
撮影監督:トビアス・シュリッスラー
プロダクション・デザイン:サラ・グリーンウッド
衣装デザイン:ジャクリーヌ・デュラン
作詞:ティム・ライス
音楽:アラン・メンケン/ハワード・アシュマン

出演
ベル:エマ・ワトソン(昆夏美)
野獣:ダン・スティーヴンス(山崎育三郎)
ガストン:ルーク・エヴァンズ(吉原光夫)
モーリス:ケヴィン・クライン(村井國夫)
ル・フウ:ジョシュ・ギャッド(藤井隆)
ルミエール:ユアン・マクレガー(成河)
コグスワース:イアン・マッケラン(小倉久寛)
ポット夫人:エマ・トンプソン(岩崎宏美)
チップ - ネイサン・マック(英語版)(池田優斗)
マダム・ド・ガルドローブ:オードラ・マクドナルド(濱田めぐみ)
マエストロ・カデンツァ:スタンリー・トゥッチ(松澤重雄)
プリュメット:ググ・バサ=ロー(島田歌穂)
アガット:ハティ・モラハン(英語版)(戸田恵子)
クロチルド:ヘイドン・グワイン(英語版)(RICO)
ジャン:ジェラード・ホラン(英語版)(安崎求)
ダルク:エイドリアン・シラー(英語版)(福沢良一)
ペール・ロベール:レイ・フィアロン(英語版)(田中美央)
シャポー:トーマス・パッデン(広田勇二)
ベルの母:ゾーイ・レイニー(大地葉)
スタンリー:アレクシス・ロワゾン(根本泰彦)

1991年公開のディズニーアニメーション「美女と野獣」を実写化した映画。
実写版としてはものすごくよくできていて、素晴らしいと思うが、アニメ版の「美女と野獣」がとっても好きなので、それと比べてしまうと「ああここはアニメの方が良かった」とどうしても思ってしまう…
こちらを先に見て、あとからアニメを見た人は「話が端折られてる」と思うのかもしれない。
「極音」上映ですが、「極音」と「爆音」の間くらいでしょうか…お城が崩れるところは結構爆音だった。

今回は全てネタバレになります…

本編直前に流れるオープニングロゴ、いつもは街中で汽車が走っているが、遠くに村?のようなものが見える森の中…お城もいつものシンデレラ城(実際にはシンデレラ城ではないらしいが)とはシルエットが違い、全く明かりがない…と思ったら、いつもは池になっているところに赤いバラが生えていて、美女と野獣用に特別に作ったものだった…ここからもう物語がスタートしていた。

冒頭の王子の美しいものに囲まれた舞踏会は、確かに16世紀のフランスの社交界を実写にするとこうなるよね…なのだが、アマデウスに出てきそうなドレスと化粧で、ちょっと違和感が。

アニメ版をかなり忠実に再現している。
翻訳もアニメ版の太田直子より実写版の松浦美奈の方が、アニメ版でははしょられていた部分もきちんと翻訳していた。
しかし、魔法をかけられた召使いたちは、アニメ版のデフォルメされたキャラクターの方が魅力的だった。
ポット夫人は陶器のつるっとした表面に柄のような目鼻口だし、チップもあまり可愛くない…
プリュメットは羽の生えた鳥になってしまってるし、ルミエールとの関係も「ちゃんとした恋人」になってしまっていて、なんだか違うなぁ、と。
マダム・ド・ガルドローブはそのままだったけど。

ベルのエマ・ワトソンは良かった。オペラで歌うような発声ではないから、本当に歌がうまいのかどうかはよくわからないけど、年相応な感じで少なくとも「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンよりはエマ・ワトソンの方が良かったと思う。
ベルが「マダム・ガストンなんて!もっと広い世界を見てみたい」と歌いながら、町の噴水を抜けて森が見えるところで歌うシーン、町外れに行くとあんな感じなのかと思っていたけど、町から谷へ降りて、山へ登って来たところになっているような…移動がすごく大変じゃない?

モーリスを助けに行き、身代わりになった後、アニメ版では「村まで送れ」と歩く馬車?のようなものにモーリスを乗せているので、どうやって帰り着いたがのかがわかるけど、実写版ではそういうシーンがないため、モーリスはどうやって帰ったんだろう?

「ひとりぼっちの晩餐会(Be Our Guest)」は、アニメのCGをかなり忠実に実写化すると、こうなるのか…という出来で、とにかくスプーンやフォークが目まぐるしく動くので、なんだかわからなくなる。
そして、料理は出て来るがベルが食べる前にショーの演出上の都合で?テーブルから下げられてしまうため、ベルはほとんど食べられなかったのでは?

ベルが逃げ出して狼に襲われ、野獣に助けられて城に戻るシーン、あの重い野獣をどうやってフィリップに載せたんだろう?と思ったら、「起きるのよ!」と自力で馬にまたがらせていた。
城に戻ってから手当てをしながら言い争いをした後に、「助けてくれてありがとう(Thank you for saving my life)」とベルが野獣に言うというカットが好きだったんだけど、違う形に作り変えられていた。この場面では無く日を改めてベルがお礼を言った後に野獣も「自分を見捨てず城に連れ帰ってくれてありがとう」とお礼を言うカットになった。まぁこれはこれで悪くないけどさ…

野獣の表情は断然アニメ版の方がいいけど、思ったよりは悪くなかった。
「愛の芽生え (Something There)」で雪合戦はしていたけど、その前に小鳥に餌をあげるシーンはカットされていて残念。
アニメでは野獣は字が読めなかったが、実写版では図書室の本はギリシャ語で書かれている本以外は全て読んだらしい。

また、ガストンはアニメ版よりお利口さんだった。
「強いぞガストン」では、ル・フウともう一人を両肩に乗せて立ち上がったのはすごいと思った。ちょっとフルフルしていたが…
ル・フウはアニメ版ではガストンのマヌケな腰巾着だったけど、ガストンにゴマするためにチップのようなものをみんなに支払っていたり、野獣の城へ夜襲をかけるときに「けだものはいる 俺の目の前にも」とガストンのことを歌ったり、かなり人間的なキャラクターになっていた。
物議を醸した「同性愛」は、もしかしてそうなのかな?ぐらいにしか感じなかったけど。

新たなエピソードとして、ベルに魔女が残して行った魔法の本を見せる、というカットが加わっている。
念じると好きなところへ移動できるという本だが、これを使って地球上のどこへ行っても野獣の姿をした自分を受け入れてくれるところはないと知った野獣は、「魔女の嫌がらせだ」とベルに言う。
ベルが念じたのは自分が生まれた時に住んでいた、パリの屋根裏部屋だった。
モーリスが映画の冒頭で作っていた、仕掛けの部屋だ。
ベルは自分の母親がいなくなった理由を父から教えてもらえなかったが、そこに置かれていたマスクを見て野獣が「医者の仮面(ペスト患者を見る時に医者が顔を覆ったマスク)だ。疫病が流行っていたんだ」というのを聞いて、赤ん坊だった自分に疫病がうつらないように、発症した母親を置き去りにして父は自分を連れてパリを脱出したことを知ったのだった。
野獣もまた早くに母を亡くし、父親の教育方針でこのように育ってしまったのだ、とポット夫人から聞かされたベル。
アニメ版だとテンポ良すぎて、こんなに短時間に恋に落ちるか?と言う気がしなくもないところが、改善されていた。

舞踏会のシーンは、アニメ版の方が良かった。
実写版の方が時間は長いけど、アニメの方が黄色いドレスが窓から見える星空の青によく映えて、アニメならではのダイナミックなレイアウトで素晴らしかった。
アニメ公開当時、晩餐会と舞踏会のカットはCGを本格的に利用した初期の作品だったのでかなり話題になったと思う。
実写版だとシャンデリアがたくさんぶら下がっていて、引いたカットだと美女と野獣が小さく見えるし、シャンデリアと部屋の壁の装飾が結構うるさくて二人が埋没してしまう…
踊っているときに、ベルが野獣の胸に顔を埋めるような仕草をして、野獣がすごく嬉しそうにモリエールとグスコワーズの方を見るカットがすごく好きだったけど、そういうカットはなかった…
そのかわりに野獣がベルを抱き上げたり、かなりちゃんとダンスをしている。
そして、アニメ版とは違い野獣はベルに恐る恐るだがはっきりと「ずっとそばにいて欲しい」と告白をしている。
ベルは「自由がない捕らわれの身では幸せになれない」と言われてしまうが・・・

ベルに「パパに会えなくて寂しい」と言われて、鏡をもたせてベルを行かせてしまうところは、アニメ版のベルは鏡の中のモーリスしか見ないまま、そのままお城から去ってしまうけど、実写版だとちゃんと野獣の顔を見て別れを言っているところはすごく良かった。

しかし、チップはベルにくっついていかなかったので、閉じ込められたモーリスとベルを助けるための活躍もなかった。
これは実写で再現するのは大変そうだからカットされてしまったのか?
モーリスは発明家だが冒頭で仕掛け時計?のようなものを作っていて、「バラの花をお土産に持って帰ってくる」とどこかへ出かけて行ったけど、発明のコンテストとは言っていなかったし、何のために出かけたのかはよくわからなかった。発明品が自動薪割りきではなく、細かい作業が必要な仕掛け時計だったのは、閉じ込められた馬車の鍵を開けて逃げ出す伏線だったのかも?あのミニチュアのしかけは、ベルは拾わずに行ってしまったけど、もうちょっとじっくり見たかった。

村人と共に城へ襲ってきたガストンが野獣を倒すために使用したのは、弓矢ではなくピストル2発だった。
野獣が戻ってきたベルを見て、屋根を飛び回るCGは、いかにもCGという重さをあまり感じないジャンプだった。
ガストンは野獣をやっつけるのに夢中になってバランスを崩して落ちるのでは無く、自分が立っていた回廊が砕け落ちて落下してお亡くなりになった。

最後にベルが「愛している(I love you)」というシーン、アニメ版では言った後に最後の花びらが散っているのに、実写版だと花びらが散ってからベルがそう言い、召使いたちは物言わぬただの家財道具になってしまうが、実は魔女だったアガットがやってきて魔法を解く、という結末だった。
ここのシーンもアニメ版の方が良かったかな…それは何度も見て刷り込まれているからなのかもしれないけど、あの重厚なテーマ曲が流れて野獣の体が浮き上がり、人間に戻って床に降ろされる…アニメ版は何回見ても涙ぐんでしまうが、実写版だと元に戻るときの変身を全てCGで作るのが大変だからなのか、手が元に戻るのはアップで映されたが、全体はお城の外からの王子がクルクルッと回っている引きの映像で、あんまり涙は出なかった…
しかし、人間にもどった王子様は、断然実写版のダン・スティーヴンスの方がいい。
ラストの舞踏会は全員参加のパーティだったが、時代を考えると黒人の貴婦人はやっぱり違和感がある。

そして最後に、長年の謎がちょっとだけ解けた。

王子ということは王がいて、治める国があるはずだが、アニメ版では領民は出てこず、最後の舞踏会のシーン(このカットはモブシーンだが、ベルと王子以外は全く動いてない手抜きだ・・・)でも、そこにいるのは召使いと王子、ベル、モーリスだけにみえた。しかし、実写版では、村人が魔法が解けてから城に戻って来て「前にここに来たことがある…」といい、家具にされてしまった召使いたちは、実は村から通って来てる?村人で、村には夫や妻がいたのだ。
しかし、王様は出てこなった。ルミエールはラストで「王子様(Prince)」と語りかけているから、王になってはいなくて、王子のはず。

城が魔法にかかっていたのはどれくらいなのか、本編中では出てこなかったが、アニメ版ではルミエールが「10年ぶりのお客様」と言っていたので、10年だったらしい。魔女が置いていった魔法のバラは王子が21歳まで咲き続けるというから、王子が魔法にかけられたのは11歳の時ということになるが…

村に残して来た家族だけが歳をとってしまったら、再開した時「あなた老けたわね!」となるはずだがそうはならなかったということは、村人たちも魔法で歳をとらなかったのかなぁ…

そして、パリではペストが流行り鉄砲がある時代(17世紀くらい?)に、こんなよくわからない王国など存在するのか?という新たな謎が生まれた。

評価:2a


BLAME! ブラム(東亜重音7.1ch極上爆音上映)

原作:弐瓶勉『BLAME!』(講談社「アフタヌーン」所載)
総監修:弐瓶勉
監督:瀬下寛之
副監督/CGスーパーバイザー:吉平"Tady"直弘
脚本:村井さだゆき
プロダクションデザイナー:田中直哉
キャラクターデザイナー:森山佑樹
ディレクター・オブ・フォトグラフィー:片塰満則
美術監督:滝口比呂志
色彩設計:野地弘納
音響監督:岩浪美和
音楽:菅野祐悟
主題歌:angela「Calling you」
音楽制作:キングレコード
アニメーション制作 ポリゴン・ピクチュアズ
配給:クロックワークス
製作:東亜重工動画制作局

声の出演
霧亥(キリイ):櫻井孝宏     シボ:花澤香菜
づる:雨宮天           おやっさん:山路和弘
捨造:宮野真守          タエ:洲崎綾
フサタ:島崎信長         アツジ:梶裕貴
統治局:豊崎愛生         サナカン:早見沙織

2週間の限定上映だそうです。
原作は読んでない、シドニアの騎士はいつものごとく録画したけど見てない、亜人は1話で挫折、という状態で前情報なしで見に行った。
ずいぶん前から予告でかかっててすごそうだったから。

レイトショーにもかかわらず、半分くらいは入ってたかな?しかも、真ん中から隙間なく埋まっていた。
ポップコーン買ってる人も結構いたけど、上映中はものすごく静かで、身じろぎもせず見ていた感じ。オタクっぽくない男の人が多かった。(オタクはよく喋るが、上映前も静かだった)
隣の人はポップコーンをものすごく静かに食べてました。

珍しく予告編が一切なかった。
「Netflix」のタイトル?のようなもののカットの後、いきなり本編スタート。

爆音だけど、大地が揺れるほどではなかった。
「重力子放射線射出装置」は結構きたけど、爆音レベルではソードアートオンラインの方がすごかったかな。でも全体的なバランスは取れてたのかも。
a、b、cの3つでかかるが、調整した人のオススメはcらしい。しかし、見に行ける時間はaだったので普通?に爆音上映の回になった。
cも試して見たかったけどね。

帰って来てPCで予告編を見ると、「なんじゃこりゃ」レベルに全然音が違う・・・

ポリゴンアニメが非常によくできていて、美術が美しい。
ポリゴンCGとわかるけど、表情は割と手書きアニメのように自然。しかし、フサタとアツジはヘアスタイルがよく似ているので、ときどき「誰?」と思った。

序盤は何が目的で何をしに行っているんだか、よくわからなかった。
ずーっと同じような場所で同じ衣装で単調だが、さいごまで飽きずに見られた。
ストーリーも所々「?」な言葉が出てくるが、それほど気にならずに見られる。

が・・・

原作はかなり壮大な物語らしく、それを映画の尺に詰め込むために、原作とはストーリーが異なっているらしい。
面白くない訳じゃないんだけど、物語に何かしらの結末があってほしい。
現状がかなり良くなったとはいえ根本的に解決しておらず、この先も良くなる見込みは今のところ見えないという結末に、どうしても「今まで見て来たのはなんだったの?」と思ってしまう。
ロードームービーという見方もなくはないが、ロードムービーだって、何かしらの発見なり変化があるもんでしょ?

評価:


以下、ネタバレの簡単なあらすじ















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主人公の少女づるの孫の回想で話が始まる。
かつては人間が支配していた機械が、人間を「不法居住者」と皆して殺すようになってしまった世界。制御する「人間」がいないため、プログラムは建築物を作り続けていき、人間は見つかると殺されてしまっていた。
づるは食料難を乗り切るため少年・少女だけで「狩場」と呼ばれるところまで食料を探しにいくが見つからず、監視塔に見つかり、駆除系と呼ばれるロボットに何人かを殺されてしまう。そこに居合わせた霧亥に重力子放射線射出装置で助けられたづるは、自分たちの隠れ家へと霧亥を連れ帰る。肌が出ていると監視塔に見つかってしまうのだが、何故か霧亥はヘルメットを被っていなくても、監視塔に見つかることはないようだった。

霧亥は「6000階(3000だったかも?)層下から来た。ネット端末遺伝子を持っている人間を探している」といい、隠れ家のリーダーのおやっさんは、ネット端末遺伝子という言葉をすごく昔に聞いたことがある、と言って霧亥を隠れ家の真下にある「幽霊が出る」という場所に連れて行く。そこは捨蔵のひいじいちゃんが幽霊のせいで階段から落ちて死んだそうで、すごく昔からそんな状態だったらしい。

ホログラムのようなものが現れ、霧亥が瓦礫を取り除いていくとミイラになったような頭部だけのシボが出て来た。自分は科学者で、ものすごい長い時間メッセージを発信して待っていた、とシボはいい、人間がネット端末遺伝子を持たなくなってから、統治局にみつからないような電波?(なって言っていたか忘れた)を発生させる装置を設置し、擬似的なネット端末遺伝子で統治局へのアクセスを試みていたが失敗した。仲間も死んでしまった。自分を工場へ連れて行ってくれれば、なんでも作ってあげるわよ、と。
この装置のおかげで隠れ家は監視塔にみつからない「聖地」となっていたのだ。

この話を信じていいのか迷うが、何もしなければ餓死することは明らかで、おやっさんはシボと霧亥にかけることにした。工場へうまく潜入し、シボのオペレーションで食物を沢山手に入れ、擬似ネット端末遺伝子を作る装置も作り出すが、駆逐系のロボットも作られてしまい、襲われてしまう。フサタが「サエは駆逐系に潰された」と言うが、づるが助けに戻ると、サエは腕の骨を折っただけのようだった。シボは新しいボディをこしらえてみんなの前に現れた。

隠れ家に戻るとサエの様子がおかしくなる。いきなり住人たちを殺し始める。それはサエの姿に化けていた、上位のセーフガードのサナカンで、隠れ家の「不法居住者」を殺すのが目的だった。監視塔に見つからないための装置を破壊され、ネット端末遺伝子の擬似装置を通じて統治局へのアクセスを試みていたシボは、腕を残して焼き切られてしまった。
霧亥はやられそうになりながらも何とかサナカンを破壊する。

シボは統治局へはアクセスできなかったが、ネットスフィアから「監視塔にも見つからない、打ち捨てられた階層」の場所を聞き、戻ってくる。体は破壊されていたが、シボの脳は手にあったため、住人達と共にその階層へと移動するためにエレベーターのような乗り物に乗り込むが、霧亥は一緒にいくことを拒否、一人駆逐系と戦うために残る。

時は流れて、づるたちは3世代に渡って平和な暮らしを送ることができていた。
祖母から霧亥の話を聞いていたづるの孫(名前あったっけ?)は、いまでも霧亥はどこかでネット端末遺伝子を持つ人間を探しているような気がする、と思う。


霧亥は「人間」と言う割には超人的すぎるし、サナカンの話だと霧亥のボディは統治局から盗み出されたものらしく、霧亥が自らの意志だけで「ネット端末遺伝子」を探しているとは思えない。
シボは脳みそが手にあったことで、サナカンに殺されなくて済んだけど、肘から下の手に足が6本生えている姿はカマキリみたいだし、統治局に挑んでいくということは「人間」なんだと思うが、一体何百年生きてるのさ?
でもミイラ状態?のようになっても死んでないし、サイボーグなの?
人間が支配権を取り戻せるのか不明だし、謎は解明されないまま・・・入りがよければ続編つくるとか?

駆除系の人型ロボットは千と千尋のカオナシみたいだった。

評価:2a


スプリット

監督:M・ナイト・シャマラン
脚本:M・ナイト・シャマラン
製作:M・ナイト・シャマラン/ジェイソン・ブラム/マルク・ビエンストク
音楽:ウェスト・ディラン・ソードソン

出演
ケヴィン:ジェームズ・マカヴォイ
ケイシー:アニャ・テイラー=ジョイ
マルシア:ジェシカ・スーラ
クレア:ヘイリー・ルー・リチャードソン
フレッチャー:ベティ・バックリー
ジャイ:M・ナイト・シャマラン

3人の女子高生が、誕生日のパーティーの後、自家用車で家に帰ろうとすると、見知らぬ男が運転席に乗って来て誘拐・監禁されてしまう。
なんとか脱出しようと試みるが、3人の前に現れた人物はなんと多重人格者だった・・・
とにかく、ジェームズ・マカヴォイの多重人格者の演技がすごい。終盤になると、目の前で人格が変わっていくところなど、すごすぎる。

シックス・センス的なものを期待して行ったが・・・
面白くなかったわけではないが、オチが全くわからなかった。




ネタバレ











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誘拐された女子高校生のうち、マルシアとクレアは以前にケヴィンに悪ふざけをしたため殺され、また、セラピストのフィッチャー博士も殺されてしまう。
ケイシーは幼い頃から叔父に性的虐待を受けていたため、ケヴィンが「自分と同じ傷を持った者」と思ったために殺されなかった。

最後に出てくる人格が、実は獣で、それがオチだったとか?と思ったが、そうではなかった。

ラストのカフェらしき場所で、テレビのニュースでこの事件を知った人が「15年前の事件と似てるわね。なんだっけあの殺人鬼」と言うと「ミスター・グラス」と横にいたブルース・ウィルスが答えるが、つけている名札をわざわざ「ダン」と字幕を出し、「重要な人物」ということを示しているが「この人誰?出て来たっけ?」と、全然わからない。

ロールエンドが終わった後に2019年1月に「GLASS」というタイトルで、「アンブレイカブル」×「スピリット」で続編を製作する、と流れたが、ここで初めて以前の作品と何か関連があったらしいことを知った。

どんな映画であるのかがわかったのは、家に帰って来て検索してからだった。
初見の人間に優しくない作りだった。
「メッセージ」を見た方が良かったのかも・・・

評価:2a


ミス・サイゴン 25周年記念公演 in ロンドン【極上音響上映】

監督:ブレット・サリバン
製作:キャメロン・マッキントッシュ
脚本:アラン・ブーブリル/クロード=ミシェル・シェーンベルク
歌詞:アラン・ブーブリル

出演
キム:エヴァ・ノブルザダ
ジョン:ヒュー・メイナード
エンジニア:ジョン・ジョン・ブリオネス
トゥイ:ホン・グァンホ
クリス:アリスタ・ブラマー
ジジ:レイシェル・アン・ゴー
エレン:タムシン・キャロル

スペシャルアンコール
キム:レア・サロンガ
クリス:サイモン・ボウマン
エンジニア:ジョナサン・ブライス 他

ミュージカル「ミス・サイゴン」の25周年記念に、ロンドンのプリンス・エドワード・シアターで2014年9月に上演された舞台を映像化したもの。

ミュージカルなど舞台を観に行くことはないけど、オペラ座の怪人の音響がよかったので、舞台の映像だと音響効果の良さがよくわかるのではないか?
と思ったのと、
ミス・サイゴンは音楽は知っているけど話は知らないので観に行こう
と思ったので見に行った。

舞台を固定カメラで撮るのかと思ったけど、そういうカットはあまりなくて、その場面のメインのキャストをアップにしているアングルが多かったので、映画としてはすごく自然な映像。

翻訳は岩谷時子だったが、割とあっさりした細部を端折った翻訳だった。

序盤は曲が終わった後に拍手が入ったりするのが不思議な感じ。「そう言うタイミングで拍手するものなのか・・・」と思った。拍手がおさまるまで待つわけではなく、話はそのまま進んでくし。

エンジニアは日本人キャストだと、市村正親しか思い浮かばないね。
怪しげな感じでうまかった。

キムとエレンの "I Still Believe" が良くて、思わず拍手したくなった。
最後はピストルを撃って幕が降りて、それで終わり??
そこだけ何となく納得がいかない・・・

舞台終演後、スペシャルカーテンコールとして、初代のキムを演じたレア・サロンガとレイシェル・アン・ゴーの"The Movie in My Mind"、レア・サロンガと初代クリスのサイモン・ボウマンは"Sun and Moon"だったかな、初代エンジニアのジョナサン・ブライスの"If You Want to Die in Bed" (途中からジョン・ジョン・ブリオネスが登場)が歌われた。

キャメロン・マッキントッシュ、アラン・ブーブリル、クロード=ミシェル・シェーンベルクが車に乗っていて、トークショー。
そして当時のキャストが全員集合しての大合唱。

これは、ファンだったらものすごく嬉しくて、観たい舞台だっただろうな、と思った。
会場の様子がまさにそんな感じ。

極上音響は「映画の違法ダウンロードは犯罪です」の「NO MORE 映画泥棒」の音がいつもと違ってよく響いていた。本編中は「極上」かどうかよくわからないが、音は良かった。
(基本、ここでしか観ないため比較対象がなく「どういいか」がよくわからないのだ)
ドラムの音やヘリコプターは、結構爆音していた。特にヘリは後方から飛んで来たのがわかる音の流し方だった。

お客さんは女性が結構多かった。
割引にならないから土曜日に行ったせいかもしれないけど。

ミュージカルは好きでも嫌いでもないですが、すごく良かった。
終わってから拍手した人が結構いたので、一緒に拍手した。
ミス・サイゴンが好きなら観に行くべき。
2500円の価値はあります。

評価:2a