ちはやふる 上の句

原作:末次由紀(講談社BE・LOVE)
監督・脚本:小泉徳宏
音楽:横山克
主題歌:Perfume「FLASH」

出演
綾瀬千早:広瀬すず/久家心(少女時代)
真島太一(まつげくん):野村周平/山田瑛瑠(少年時代)
綿谷新:真剣佑/加部亜門(少年時代)
大江奏(カナちゃん):上白石萌音
西田優征(肉まんくん):矢本悠馬
駒野勉(机くん):森永悠希
若宮詩暢:松岡茉優
原田秀雄:國村隼
宮内妙子:松田美由紀
須藤暁人:清水尋也
木梨浩(ヒョロくん):坂口涼太郎
綿谷始(永世名人):津嘉山正種

原作は読んだことないが、TVアニメのシリーズはよく出来ていて、2期を作ってくれないかなぁと思っていた(が、まだ見てない…1期から見ようと思うのだが何せ2クールあるので時間がないのだ)
原作では何巻までなのかわからないけど、上の句下の句会わせてアニメ版の第1期の内容のようだ。

キャストのビジュアルが原作どおりで、よく再現したなぁと感心する。
特にカナちゃんと北央学園のヒョロくんは、キャラそのままですごいと思った。
机くんと宮内先生が松田美由紀なのはちょっとイメージ違う…と思ったけど。 

子供の頃のエピソードは、ほぼごっそりカット。めがねを隠したエピソードも、大会に勝つために太一が卑怯なことをした、という意味がうすれちゃってる。原作ではその後すぐに謝っていたけど、映画では何年も引きずることになり、「え?今頃?電話で?」という違和感を感じる。

新が福井に戻っていくところは回想で出て来たが、「親の事情で東京に転校してきたが方言でイジメられていたのを、千早と(おまけで)太一もカルタをやるようになった」ことに対する「いっしょにカルタやってくれてありがとう」の重みがぜんぜん感じなれない…
太一は唐突に「まつげくん」と呼ばれるし、原作知らない人はいきなりすぎて「何のこっちゃ?」と思うのでは…
まあ映画の尺に納めるには多少のアレンジはしょうがないのだろうけど。

それでも北央高校との対決は結果はわかってるけど熱くなってしまった。
今回は復習しないで見に行ったので、あらすじは覚えてるけど、細部をかなり忘れていて、着物来て試合に臨んでるので、倒れるのではないかとヒヤヒヤしてしまった。

エンドロールはPerfume主題歌だったが、全く作品に合ってなく、違和感を感じた。

評価:2e


 

アイアムアヒーロー(R15)

原作:花沢健吾(小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」)
監督:佐藤信介
脚本:野木亜紀子

出演
鈴木英雄:大泉洋
早狩比呂美:有村架純
小田つぐみ(藪):長澤まさみ
伊浦:吉沢悠
サンゴ:岡田義徳
黒川徹子(てっこ):片瀬那奈
中田コロリ:片桐仁
松尾:マキタスポーツ
三谷:塚地武雅
アベサン:徳井優
千倉:風間トオル

シッチェス・カタロニア国際映画祭・コンペ部門で観客賞と最優秀特殊効果賞、ポルト国際映画祭・コンペ部門で観客賞とオリエンタルエキスプレス特別賞、ミッドナイターズ部門・観客賞、サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)・ミッドナイター部門で観客賞を獲得。ブリュッセル国債ファンタスティック映画祭コンペ部門でグランプリ受賞作品。

原作読んでないし、内容を全然知らない状態で、タイトルと主演が大泉洋だからコメディっぽいところがあるのかと思ったら全然違い、真剣な?ホラースプラッタ映画でした。
バイオハザードにエクソシストを足した感じ。

ZQN(ゾキュン)と呼ばれるなぞの感染症にかかると、脈が止まり眠らなくなり、人格も崩壊してゾンビとなってしまう。
このZQNになった人たちのビジュアルがすごい。
片瀬那奈もZQNになってしまうが、これ、本人が演じてるのか?と思うくらい豹変ぶりがすごいです。
あと、元体操選手のZQNもCGじゃないよね?いったいどうなってるの?と何度も思いました。
高速道路でのカーチェイスは韓国の造成中の高速道路で撮影したそうですが、これは日本では絶対撮影できないだろう…と思うくらいすごいスピードで車がクラッシュし、白井健三選手のひねりのように車体がくるくる回って落っこちても、本当に助かるんだったら後部座席でもシートベルトしよう…とちょっと思いました。

簡単にいうと「ゾンビ映画」なので、後半はスプラッタでした。容赦なくものすごい勢いで色々なものがぶっ飛びます。

原作はまだ連載が続いているそうで、映画はストーリー的には全然解決しておらず、「で、この後どうすんの?」という状態だけど、映像が徹底してすごいので、その辺はあまり気にならなかったです。



ネタバレ











とにかくZQNになった片瀬那奈がすごかった。
歯が抜け落ちるまで白目を剥いて、あれ、本人だよね?
よく受けたなあ…ブリッジで歩いてくる姿はエクソシストみたいだし。

クレー銃でZQNを倒すところは、絶対に弾が足りなくなると思っていたが、無事足りたのと威力がすごかった。

ZQNは食べないし寝ないしだから、そのうち弱って死なないのかなと思うけど、「永遠に美しく」状態なら死ぬことはないのか。
今はとりあえず脱出できたけど、首都圏に戻れば全国総DQN化してそうだし、この後いったいどうするの?
という謎は残ったまま、映画は終わった…

評価:2c


スポットライト 世紀のスクープ

監督:トム・マッカーシー
脚本:ジョシュ・シンガー/トム・マッカーシー

出演
マイケル・レゼンデス:マーク・ラファロ
ウォルター・メロビーモ・ロビンソン:マイケル・キートン
サーシャ・ファイファー:レイチェル・マクアダムス
マーティ・バロン:リーヴ・シュレイバー
ベン・ブラッドリー・ジュニア:ジョン・スラッテリー
マット・キャロル:ブライアン・ダーシー・ジェームズ
ミッチェル・ギャラベディアン (弁護士):スタンリー・トゥッチ
スティーヴン・カークジャン (『ボストン・グローブ』総合調査記者):ジーン・アモローソ
ジム・サリヴァン (教会側の弁護士):ジェイミー・シェリダン
エリック・マクリーシュ (弁護士):ビリー・クラダップ
アイリーン・マクナマラ 『ボストン・グローブ』コラムニスト):モーリーン・キーラー
リチャード・サイプ (心理療法士) (電話音声):リチャード・ジェンキンス
ピーター・コンリー:ポール・ギルフォイル
バーナード・ロー枢機卿:レン・キャリオー
聖職者による虐待被害者ネットワーク (SNAP) のフィル・サヴィアーノ:ニール・ハフ
ジョー・クロウリー:マイケル・シリル・クレイトン
コンスタンス・スウィーニー判事:ローリー・ハイネマン

2002年にボストン・グローブ紙が、ボストン司教区のジョン・ゲーガン司祭の児童に対する性的虐待を始め、多くの神父が児童に対する性的虐待を行っている事実とそのことが発覚しても処分はされないまま別の司教区へ転属されまた同じことが行われている、という事実を「スポットライト」として記事にするまでの実話を映画化し、アカデミー賞で作品賞と脚本賞を受賞した作品。

「スポットライト」とはボストン・グローブという新聞の一面に掲載される、スクープ的な特集記事のことだそうです。
ボストン・グローブは今はニューヨーク・タイムスに買収されたそうですが、この記事でピュリッツアー賞を受賞したらしい。
昔の話なのかと思ったら、途中で9.11が出て来たりして、現代でもアメリカでは教会の権力はこんなに大きいのか…と思った。貿易センタービルのテロの報道はすごく記憶にあるが、この報道は聞いた記憶がない。日本で報道されてたのかなぁ?

ボストンはカトリック信者が多く、教会の権力が絶大で、警察も検挙しない(出来ない)し神父もおとがめなし。
神父年鑑?や配属された記録、不自然な休職の記録などを地道に調べていき事件の全体像が見えて来たが、公開されているはずの裁判記録も隠蔽され、見ることが出来ず決定的な証拠がない中で、ギャラベディアン弁護士が再提出した被害者からの手紙を、隠される前に閲覧できたことで裏付けがとれ、記事にすることが出来た訳だが、調査の過程で過去のボストン・グローブの対応のまずさも明らかになってくる。

被害者の弁護士マクリーシュは法的手段に訴えることはせず、教会と直接交渉して示談にしていたが、以前にゲーガン神父の性的虐待が記事になった時、その時の資料をマクリーシュ他の関係者はボストン・グローブに送っていたが、何の記事にもならなかった。
また、神父の一人にも話を聞くことができたが、その神父が「自分がやられたようなことはしていない」というようなことを話し、さらに神父には「精神的に未熟な傾向がある」と問題がある神父が送られる施設のサイプ心理療法士は言う。
問題がある教会の「システム」には、神父への教育とかは含まれていなかったのだろうか?



淡々と話が進んでいく感じで、後半はもうちょっと盛り上がってほしかった。
古い映画で申し訳ないが、ケビン・コスナーのJFKは最初の1時間は何を目的にやってるんだかよくわかってなかったので眠くなってしまったが、後半2時間は謎解きというか、悪を追いつめていくところにすごくわくわくしたが、そういうわくわく感がなかったんだよなぁ…

評価:2a


ちはやふる 下の句

原作:末次由紀(講談社BE・LOVE)
監督・脚本:小泉徳宏
音楽:横山克

出演
綾瀬千早:広瀬すず/久家心(少女時代)
真島太一(まつげくん):野村周平/山田瑛瑠(少年時代)
綿谷新:真剣佑/加部亜門(少年時代)
大江奏(カナちゃん):上白石萌音
西田優征(肉まんくん):矢本悠馬
駒野勉(机くん):森永悠希
若宮詩暢:松岡茉優
原田秀雄:國村隼
宮内妙子:松田美由紀
須藤暁人:清水尋也
木梨浩(ヒョロくん):坂口涼太郎
綿谷始(永世名人):津嘉山正種

強豪校・北央高校に買って全国大会への切符を手にした千早だったが、福井まで会いに行ったのに新には「もうかるたはやらん」と言われてしまい…

クイーンの若宮詩暢に勝てば新がまたかるたをやるかもしれない、と左利きの若宮に対抗すべく、チーム戦そっちのけで一人突っ走る千早。
左利き対策ばかりに固執するところ、すごく意固地だし、この部分にすごく時間を割いている感じで、ちょっと不自然に思えた。
みんなともぎくしゃくしてしまったが、なんとか仲直りして近江神宮での全国大会に臨む。

やっぱり着物で臨んで倒れましたね…
本編では全く触れられてませんでしたが、倒れて翌日の個人戦ではTシャツで試合に臨んでいたので、原作通り着物の締めつけ他で倒れたんでしょう。

個人戦だけど、チーム戦のように戦う姿は、それなりに熱くなるかも。
若宮詩暢役の松岡茉優は、不思議ちゃんさをよく醸し出していて、千早の初めての対戦は若宮に負けてしまうのだが、天真爛漫に「かるた楽しかったね!また対決しようね!」に「いつや?」と返すところなど、ピッタリの配役だった。
これ以降、松岡茉優を見ると「不思議ちゃん?」と思ってしまうのだった。

最後のシーンは、全員1対1で着物で試合していたように見えたのだが、あれは将来の姿だったのかなあ?下の句の撮影中に続編が決まっていたら、最後のカットは違っていたのかもしれない。

評価:2b


シン・ゴジラ(極上爆音上映)

総監督・脚本・編集:庵野秀明
監督・特技監督:樋口真嗣
撮影:山田康介
照明:川邊隆之
画像設計:庵野秀明
録音:中村淳
整音:山田陽
音響効果:野口透
音響設計:庵野秀明
編集・VFXスーパーバイザー:佐藤敦紀
音楽:鷺巣詩郎、伊福部昭
美術:林田裕至・佐久嶋依里
ゴジラコンセプトデザイン:庵野秀明
ゴジライメージデザイン:前田真宏
画コンテ:轟木一騎、摩砂雪、鶴巻和哉、前田真宏、樋口真嗣、庵野秀明
特殊建機小隊エンブレムデザイン:出渕裕

出演
矢口蘭堂(内閣官房副長官(政務担当)):長谷川博己
赤坂秀樹(内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)):竹野内豊
カヨコ・アン・パタースン:石原さとみ
志村祐介(内閣官房副長官秘書官(防衛省)):高良健吾
大河内清次(内閣総理大臣):大杉漣
東竜太(内閣官房長官):柄本明
花森麗子(防衛大臣):余貴美子
尾頭ヒロミ(巨災対メンバー、」環境省自然環境局野生生物課長補佐):市川実日子
財前正夫(統合幕僚長):國村隼
里見祐介(農林水産大臣、内閣総理大臣臨時代理):平泉成
泉修一(保守第一党政調副会長):松尾諭
森文哉(巨災対メンバー、厚生労働省医政局研究開発振興課長・医系技官):津田寛治
間邦夫(巨災対メンバー、国立城北大学大学院生物圏科学研究科准教授):塚本晋也
安田龍彦(巨災対メンバー、文部科学省研究振興局基礎研究振興課長):高橋一生
牧悟郎(元城南大学統合生物学教授):岡本喜八
呉爾羅:野村萬斎

映画はいつも仕事の帰りに見に行くが、爆音専用館aスタでかかるのがなぜか昼の回1回のみ…
ので、仕方なく昼間に見に行った。
と、思った人は多かったらしく、3Dでも前日にならないと予約はあまり入らないのに、予約可能になったとたんに真ん中から前方はかなり予約が入っていた。夏休みで昼間、うるさいカップルやおばちゃんとかいそう…と思っていたが、みんなポップコーンなども食べず静かにエンドロールまで見ていて、最後に拍手が。後ろの人たちは2回目、と言っていた。ゴジラを爆音で見たくて来ている人ばっかりだったらしい。
※翌週はaスタ爆音で字幕つきらしいです。耳の聞こえない人でも、振動は十分感じられると思う。パンフレットは売り切れだった…

矢口蘭堂は若いのに意見したりして、どういう立場の人なのか最初よくわからなかった。
彼一人だけ「火山ではなく不明な生物」と言い出すところも、唐突な感じだし…
役職(肩書き)はテロップで出るが、時間が短いし文字が多く瞬時に理解できん。
防衛大臣は余貴美子だったが、先日防衛大臣になった稲田朋美氏を連想し、泉修一は自民党の萩生田光一氏みたいだなあ、と思って見ていた。撮影時は内閣改造前だったから、女性の防衛大臣ということで、小池百合子氏だったようだけど。

石原さとみは日系3世で、どうやらアメリカの名門政治家ファミリーのようだが、そこに日本人がファミリーの一員として入れるかなぁ…。しかも3世だと日本語しゃべれない人も多いから、英語の発音はその役柄にふさわしい発音だったのか?悪い発音ではないように思ったが、ネイティブともやっぱりちょっと違う…ちょっとわざとらしさを感じなくもない。

市川実日子のクールな早口有能ぶりはすごかった。
高橋一生はコミカルだったけど、まぁいい味だった。

ゴジラは偶然が産んだ突然変異、ということで、設定的に矛盾はあまりない。
が、ゴジラは以外と早く姿を現したが、あれがゴジラ??
なんか、鳥のひなのような顔立ちなんですけど???
とえーーな感じだったが、その後再び鎌倉に出現した時は、ちゃんとゴジラになっていた。

ところどころ、エヴァンゲリオンとナウシカへのオマージュ?と思えるところが。
音楽が鷺巣詩郎なので、会議になるとエヴァを連想するあのリズム。あれ、エヴァで使ってた曲なのか?
陸空海自衛隊の協力もありものすごい音と振動でドンパチしていて、何故ガルパンの爆音上映がいつまでも続くのか、ちょっと納得したのであった。









ネタバレ









牧博士は「私は好きにする。お前たちも好きにしろ」というメッセージを残してボートからダイブして消えた訳ですが、博士が行った何かによってゴジラ誕生?覚醒?のトリガーになったのでは?

陸空自の攻撃にもびくともせず炎の中に立つ姿は、まるで初号機というか火の七日間とういか…
光線を発して破壊しつくす姿は、巨神兵のようだった。
そして、ダミー(無人機)を使いながらの「ヤシオリ作戦」、「ヤシマ作戦」のパクリだよね?
ヤシオリ作戦ってどういう意味?どっからきてるんだ?と思ったら、須佐之男命のヤマタノオロチ退治でオロチを酔わせるために使った8回醸した強い酒「八塩折之酒」から取ったのね。(検索したところ、その前の自主制作映画の八岐大蛇で使用してたらしいです)
酔って寝てしまったオロチを切って退治したら、尻尾から天叢雲剣(草薙剣)が出て来た訳だけど…全然わかんなかった(というか、気づかなかった)ラストのカットに由来してるのかなぁ。
それにしても、こんな名前をいきなり思いつくとは…マニアックすぎる。

何しろパンフレット売り切れだったからな〜
再入荷するのか聞いてくれば良かった…

ゴジラのような、人類の叡智で対抗できないような何かが現れたら、政府は本当にああいう感じになるんだろうな。
そして、国を救ったのは、ふだんは周りから鼻つまみ者扱いされているオタクたちだった。

実際にああいうものが東京に現れたら、電車は止まるし道路は渋滞、歩く以外の交通手段はないのでは…何しろ3.11の時に、会社の人が秋葉原から夕方高速に乗って、川崎の自宅についたのは翌日昼だったと言っていた。
自衛隊、米軍でも対抗できないとしたら…お手上げかも。
渋滞している間に、光線で殲滅されそう。
それにしても何で東京を襲ったんだろう…

ヤシオリ作戦は、東京駅に足止めして、新幹線・在来線、丸の内や大丸・駅ビルをゴジラにぶつけて足止めする、というものだったけど、あの場所にうまく誘導できなかったら?
また、ゴジラが倒れたときに口からものを投入できない角度で倒れられてしまったら?と、かなりばくち的な作戦だよね。
カモノハシ新幹線がゴジラに激突し、山手線、中央線など普段乗っている電車がぴよーんとゴジラに乗り上げる?姿はうーん、なんと言ったらいいのか…

容赦なく破壊しつくされた東京はすごかった。
破壊と再生を繰り返してこの国は出来て来た、と赤坂秀樹は言っていたが、現実的に考えるとこの状態から再生するのは大変だ…生活の保証をしないとならない人がいったいどれだけいるのか。
それでも、なんとかフランスを説得した総理代理や、世界中のスパコンを並列で計算に使う依頼をうけてくれた世界中のラボとか、希望を持てる部分もあって、まあ何とかなるのかもしれない、とも思った。

作戦が功を奏し、ゴジラは凍結されたわけだけど、続きは作らないんじゃないかなぁ…
共存するということは、目覚めないように見はってく、ということになりそうだし。
あれが存在する限り、東京は常に核兵器が落とされる可能性と共存だよ。

キャストがすごく豪華。
スタッフロール見て、エーどこに出てた??と思う人が。斉藤工、ピエール瀧、片桐はいりはわかったが、前田敦子はわからなかった。萬斎さん、いったいどこに出てた!?と思ったら、ゴジラのモーションキャプチャをしたのが萬斎さんだったのか。


追記:
字幕つき爆音で見てきました。
早口で右から左だったセリフがよく理解できた。
が、肩書きや会議名のテロップが出ているところに同時に出るセリフの字幕は、どっちかしか読めない…
自衛隊やアメリカ大統領との英語のやり取りは英語字幕だったが、カヨコや赤坂の英語はもともとの翻訳の字幕のままだった。
しかし、洋画と違って、ついしゃべっているセリフと同じ早さで文字を追ってしまうので、気がつくと字幕だけを追っているようになってしまう。

血液凝固剤を流し込んでいた、タンクローリー隊?は「アメノハバキリ(天羽羽斬)」と言ってたのか。
日本書紀でも古事記でも、八岐大蛇を退治したのは「トツカノツルギ(十拳釼)」で、天羽羽斬で八岐大蛇を退治したことになっているのは古語拾遺。天羽羽斬(アマノハバキリ)は 石上神宮にあり(といっても古語拾遺が書かれた当時のことだが)、古くは大蛇を羽羽(ハバ)と言い、蛇を斬る事を言ったらしい。

2回目の感想は、「さらにエヴァンゲリオン」。
ヤシオリ作戦は、セリフの所々がヤシマ作戦に本当に良く似ている。
「沈黙しました」とかさ。
遺伝子が8倍で、最も進化した生物でなおかつ、進化し続けている人類に取って脅威とも福音ともなり得る、のセリフに、ちょっとシトと共通したところを感じたし。
なんでゴジラは首都圏を襲うのか?は、なんでシトが襲ってくるのか?と同じ位理由はどうでもよくって、とにかく「襲われて大変」という事実だけがあればいいのだろう、というところも。

音楽はじっくり聞くと、エヴァのサントラを使っているようだ。
第1形態のゴジラは何度見ても、オタマジャクシというよりは、象の鼻にしか見えない。
第3形態の時に、線路を横切っているおじさんとおばあちゃんを犠牲にして攻撃をしていたら、倒せたのかなぁ…。

米軍の爆撃のところ、物悲しい音楽での演出のせいもあって、人間のせいでこのような進化を遂げざるを得なかったのに、さらに人間に苦しめられているゴジラの悲哀を感じた。
萬斎さんの動きもじっくり見たよ。

最後のしっぽは、トゲトゲと骸骨が何体も飛び出ていた。
牧博士と奥さんでは?という見解もあったが、2体ではなかったようなので、それはちがうんじゃないかな。
分裂?誕生?しようとしていたところに光線を発射して焼けて骸骨になったのだろうか?

1回目も満席に近いような感じだったが、レイトショーだったにもかかわらず、今回も満席に近かった。前の席が小さい女の人だったので、快適だったよ。前回も女の人だったが、その列のどの男の人よりも頭が飛び出ていて、胴体が長いのか、モデルのように背が高いのか、それともオネエ?という感じで頭が邪魔だった。
パンフは相変わらず売り切れ、入荷未定だった…

評価:2a


SONG of the SEA  海のうた

監督:トム・ムーア
製作:トム・ムーア/ロス・マレー/ポール・ヤング/ステファン・ルランツ/
   セルジュ&マルク・ウメ/イザベル・トゥルク/クレメン・カルヴェ&ジェレミー・ファーナー/
   フレデリック・ヴィルムセン&クラウス・トクスヴィー・キェアー
アートディレクター&プロダクション・デザイン:エイドリアン・ミリガウ
脚本:ウィル・コリンズ
ヘッド・オフ・ストーリー:ノラ・トゥーミー
オリジナル音楽:ブリュノ・クレ/キーラ
歌:リサ・ハニガン/ノルウェン・ルロワ
編集:ダラ・バーン

声の出演
ベン:デヴィッド・ロウル/本上まなみ
コナー&マクリル:ブレンダン・グリーソン/リリー・フランキー
おばあちゃん&マカ:フィオヌラ・フラナガン/中納良恵
ブロナー:リサ・ハニガン
シアーシャ:ルーシー・オコンネル
フェリー・ダン&グレート・シャナキー:ジョン・ケニー

アイルランドの民話「あざらし女房」を題材にしたアニメーション。と言ってもアイルランドではアザラシの妖精は一般的ではないような…人魚や、シー(妖精)、ドワーフ(小人)の話の方がよく聞きます。セルキーの言い伝えは、オークニー諸島、シェトランド諸島に伝わっている話らしいです。パンフレットにはアランモア島、ディングル半島あたりではないかと載っていました。

日本で言えば「天女の羽衣」のように、陸では人間、アザラシのコート(毛皮)を着るとアザラシの姿になる妖精、セルキーと人間の間に産まれた兄妹の冒険・成長物語。

監督が影響を受けたのは、「トトロ」と「もののけ姫」だそうですが、「トトロ」が日本文化を表現しているように、アイルランド文化を表現したかったとか。

映像がすごく美しいです。
人物は簡単な線画タッチですが、おそらくものすごい処理のエフェクトをかけて、おとぎ話(というよりはフェアリー・テールという表現の方が合うと思う)のような表現になっています。
人物やアザラシたちも丸っこいデザインですが、全体的に丸くデザインされているものが多いです。丸というよりは「輪」なのかもしれないけど、円のモチーフはアイルランドでは再生の意匠だそうだし。
海のうたも、すごく耳に残るフレーズでした。

前半はベンの妹に対する意地悪が徹底していて、そこまでやらなくても…と思いました。愛犬のクーはいい味だしてます。クーがいなかったら、臆病なベンだけではこの結末はなかったんじゃ…と、思わなくないですが…
あからさまに泣かせようと作ってあるようなストーリーではないですが、お話の終盤になると、何故だか涙がでてきてしまいました…







ネタバレ














岩になったと言うマクリル(マナナン・マク・リル)は海の神であり、水底の青春の地(アイルランドの「あの世」のようなもの)「ティル・ナ・ログ」の王。確か映画の冒頭で、ブロナーがベンとティル・ナ・ノグの王、と歌っていたと思います。

ベンを助けようとしてくれた3人の妖精、ディーナシーは「妖精」の総称として使われたりするらしい。妖精のことを略して「シー」と呼んだりします。
シャナキーはアイルランドの民話を語る「語り部」のことのようです。

マカは神話ではダナー神族(トゥアザ・デ・ダナーン)の戦いの女神の一人で、「マハ」「マッハ」「ヴァハ」と訳される事が多く、カラスの姿で戦場に姿を現し、魔法を使って戦い、戦死する戦士の兜や武器を浅瀬で洗うと言われていて、マナナン・マク・リルの母である、という神話は読んだ事がないです。
訳では確か「フクロウの魔女」となっていましたが、マカは自分のことを「シー(妖精)」と言っていたように聞こえたんですが…
マクリルが悲しみのあまり岩にされた、という伝説も聞いた事がないので、一般的ではないと思います。ちなみにマクリルはマン島の王で、今でもマン島のピール城にお墓があるそうです。

本編でははっきりとした説明はありませんが、二人が町に連れて行かれた時、子供達はみんなお化けの格好をしていたので、その日がハロウィンであることがわかります。そして、ハロウィン前日がシアーシャの誕生日。セルキーである母は産み落としたシアーシャを残し、妖精の国(ティル・ナ・ログ)に帰って行ってしまいました。

今ではハロウィンは「トリック・オア・トリート」でお菓子をもらう日になっていますが、もともとは「サウン(サウィン)の祭り」といいアイルランドの「お盆」のような日で、その日は冥界との境が取り払われ、妖精の住む塚が開かれて、精霊達は地上に現れ、人間は冥界を訪れる事が出来たと言います。ケルトの暦では、サウンの祭りは新年の祭りでもあったらしいです。
弱って行くシアーシャ同様、「赤ちゃんを守るためなの」と言っていたブロナーの髪も部分的に白髪になっていたので、祭りの終わりとともに、妖精の国に帰らざるを得なかったのだと思います。
なんでシアーシャだけ人間界に残されたのかは不明ですが…
それに祭りは年1回かならずあるんだから、毎年来てくれても良いと思うんだけど。

ベンが町へ行く時にメモした地図に「聖なる泉」とあったけど、車窓からどうやって知ったのだろう?
おばあちゃんが教えてくれたとか?
アイルランドには聖なる泉があちこちにあるみたいですが、「聖キランの泉」の祠が映画にでてきた祠に似ています。(祠の中に泉はないみたいですが)
岬がアラン島、街がダブリンだとすると、聖キランの泉は途中にありますが、アイルランドをほぼ横に縦断していて、おばあちゃんが一人であの距離を運転するのは大変じゃないかなぁ?
祠?小屋?の泉にクーに引っ張られて飛び込み、シャナキーに出会うところは現実離れしすぎてすごかったけど。

シアーシャが巻貝で閉じ込められた感情を解放し、改心?したマカから「明日中にこの子にアザラシのコートを着せて、声が出るようにして歌を歌わせないと、シアーシャは死んでしまう」と教えてもらい、コナーが海に沈めたコートをアザラシの協力で探し出せた訳だけど、あのアザラシにはブロナーもいたんだろうか?
映画を見ていた時は「6歳の誕生日の日のうちに歌を歌わなければいけない」んだと思ったけど、誕生日であることが重要ではなく、「サウンの祭りで特別な魔力が働いている間に歌わなければいけない」だったのかも。

祭りの日だったので母親のブロナーもこの世に戻ってくる事が出来たわけですが、ブロナーが妖精の国に一緒に行くのかここに残るのか尋ねると、シアーシャは「残りたい」と言います。
なんとなく、どんなに虐待を受けても、親を慕う子供のようだなあ…とちょっと思ってしまいました。

エンディングのベンの誕生日ケーキ、ろうそくは8本だったのかな。6本に見えたんだよね…それじゃシアーシャと同じじゃん…

見ていて「千と千尋の神隠し」みたいだなぁ、と思ったところが。
取り除かれた「感情」が戻って行くマカの姿は湯婆(ユバーバ)みたいだったし、空をかけて行くところは銭婆(ゼニーバ)のところから戻る時のハクのようで、道路を走るところは猫バス…

ベンたちを岬まで送り届けたのは、エンディングでマクリルの供をするように一緒に海の彼方へ去って行ったので、「春風のように早く駆け、海も陸も駆けることができるマクリルの白馬」だったのだと思います。

恵比寿ガーデンシネマで見ましたが、席が広くなかなか音響の良い映画館でした。
平日の昼間に行ったので空いていたんですが、私を含めお客さんは全員特別席?(白いシートのかかっている席)の後ろの列にずら〜っと一列に並び、さすが写真美術館が近くにある映画館だ…と思いました。
(いつも行く爆音ガルパンで有名になったところは、かつて白いカバーがかかっていた席だったところよりも前方が人気で、隣に人が来ないように席が売れていきます)

いつものところでかかっていれば、もう1回見に行くんだけどな〜

評価:恵比寿ガーデンシネマ


君の名は。(極上音響上映)

監督・原作・脚本・絵コンテ・編集:新海誠
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:安藤雅司
音楽:RADWIMPS
脚本協力:加納新太
製作:市川南/川口典孝/大田圭二
共同製作:井上伸一郎/弓矢政法/畠中達郎/善木準二/坂本健
企画・プロデュース:川村元気
エグゼクティブプロデューサー:古澤佳寛
プロデューサー:武井克弘/伊藤耕一郎

声の出演
立花 瀧:神木隆之介          宮水 三葉:上白石萌音
奥寺 ミキ:長澤まさみ         宮水 一葉:市原悦子
勅使河原 克彦:成田凌         名取 早耶香:悠木碧
藤井 司:島崎信長           高木 真太:石川界人
宮水 四葉:谷花音           宮水 トシキ:てらそままさき
宮水 二葉:大原さやか         ユキちゃん先生:花澤香菜

眠っているあいだ、心と体が入れ替わっている…くらいしか知らないまま見に行ったが、話は思ってもいなかった方向へ進んで行った。

ストーリーが綿密に練られていて、出てくるもの全てが伏線になっている。
最後の方、やりとりが「君の名は」の連呼ばかりだったけど、広げた風呂敷はきちんとたたみ、また少し開いたら新しい物語が始まりそう、みたいな終わり方。

三葉の住む湖は諏訪湖なのかと思ったけど、しかし諏訪湖にしてはちょっと人家が少ないし、高速道路がない。糸守は飛騨の架空の場所ですが、監督は諏訪湖も参考にしたみたい。

新宿や四谷は知ってる風景だし、いつも見る電車、特に電車の扉に貼ってあるあの「駆け込みはおやめください」のステッカーが、すごくリアル。あと、新幹線の座席とか、とにかく背景が写真のようで、どの場所なのかがよくわかる。
キャラデザインが同じ人だからか、瀧くんの友人の高木真太は「あの花」のぽっぽに似てるなぁと思った。

映像、特に背景がすごくきれいだ。
神社での口噛酒の儀式も、映像をもとに描き起こしたのだと思うが、床に姿が映り込んでいるところなども綿密に描かれていて、美しい。
特にすごいこだわりを感じたのは、
(1)スケッチブック。3Dでやってると思うけど、めくるところがすごくリアル。
(2)瀧がスケッチをするカット。鉛筆で書いているところがきっちり再現されている。消しゴムで消すところはちょっと不自然だったけど。
(3)扉が開くカット。なぜかローアングルで扉を真横から書いている。何かの象徴?

奥寺先輩の長澤まさみはうまかった。長澤まさみに聞こえなかったです。
四葉の谷花音ちゃんもうまかった。
「王様のブランチ」で神木隆之介と上白石萌音が、監督が作ってくれた台本を入れたDVDを聞いて、「涙がどわーー」だったというので、どんなに泣くかと思っていたが、期待しすぎたのか、泣く事はなかった…。

最後、西新宿と思われる歩道橋ですれ違った時、三葉はストールをまちこ巻きしてて、「今時こんな風に巻く?」とちょっと思った。そういえばこれも「君の名は」だった…







ネタバレ









二人の間には3年のずれがあり、現実では

口噛酒の儀式
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宮水神社のご神体の祠へ奉納
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三葉が瀧に会いに東京に行く
偶然電車の中で出会うが、瀧「だれ?」
三葉が組紐を渡す
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翌日ショックで三葉は髪を切る
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お祭り、隕石落下で糸守が壊滅
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3年後、瀧が夢を見て糸守について調べ、尋ねて行く
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宮水神社のご神体の祠で3年前の口噛酒を飲み、頭を打って3年前へタイムスリップ?
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隕石が落下しても被害を免れていた高校へ避難するように指示するため、変電所を爆破、市内放送をジャック
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現在(3年後)に戻り、黄昏の時間に二人は一瞬だけ出会うことが出来た
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忘れないようにお互いの名前を手に書こう、と言い瀧は三葉の手に文字を書くが、それは名前ではなかった
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それぞれの時間に引き戻され、大切な相手の名前は思い出せない…

という順序で話が進んで行く。

電車の中で一生懸命単語帳をめくっている瀧は、ちょっと若く描かれていたんだろうか?よくわからなかった。
「糸守」は、組紐などと関係させてつけたのかもしれないけど、三葉が渡した組紐が二人の細いつながりが保たれていたわけで、ちょっと意味深。巫女さんとはいえ、髪飾りに組紐?しかも和装のような…と思ったけど、瀧に渡す組紐を自然な形で身に付けたらああなったのか。

黄昏時をカワタレ(彼は誰)と言うのはわかるが、カタワレは「片割れ」にちょっとこじつけてる感じ。口噛酒も「片割れ」だそうだし。
冷静に考えると、姿は見て知っていても、実際に話をすることはなく交換日記的なものだけで好きになってしまうということはあるのかな。

みんなが避難して、犠牲者が出ない歴史に変わってしまったので、そこのところの記憶はあいまいになってしまったらしい。
助かった理由が偶然大規模な避難訓練をしていたから、になっていたけど、まさ変電所?を爆破してなんて言えないからそういうことにしたのかも。隕石落下で証拠はなくなっちゃったし。
それにしても、変電所爆破は良く決意したよね。

そんな中で偶然、山手線と総武線が並んで走っているときに、隣り合わせの列車でお互いを認識し、急いで電車を降りて必死で探しまわった割には、階段の上と下で巡り会った時にそのまま行き過ぎてしまうっていうのが、そんなんでいいの!?探してたんでしょ!?なぜそこで諦める!?と思ってしまうのは、私が年を取ったから?
その後、二人が自分の事を相手に話すことがあると思うけど、そうしたら入れ替わっていた時の事を思い出すのだろうか?

宮水神社のご神体は、以前に落ちた隕石のクレーターのど真ん中にあったけど、同じような場所に何度も隕石が落ちるって、すごい奇跡のようなものだよね。
見上げたときの引責は、すでに頭上を通り越しているのに、割れたらこっちに向かって落ちてくるってあり得るんだろうか?
しかもテレビでは「落下しないでしょう、したとしても地上に落ちる前に燃え尽きます」と、何だかシン・ゴジラのような説明していたし。
ここのところはちょっと不自然だった。
おばあちゃんの話だと、宮水神社の巫女たちは、皆同じような体験をしていた、と言っていたから、そのうち四葉も同じ体験をするってこと?

ところで、部屋が取れず司と瀧と同じ部屋に寝る事になった奥寺先輩、浴衣なんか着て寝て大丈夫なの?と思ったら案の定ちょっとはだけていた。

変電所と隕石落下の爆発のところは、ちょびっと爆音、振動が伝わって来た。
bスタだったので、aだともっと振動がすごいとか?
しかし、極上音響はよくわからなかった。いつもとそんなに変わんない気がするけど、周りに音がなく台詞だけで、三葉が声を張るようなシーンだと声が出る前に吸う息の音も聞こえるような感じはあった。違う映画館で見たら、違いがわかるのかもしれないけど。
携帯のバイブとかの音は、置いてある場所というか、距離?みたいなものがすごく良くわかるクリアな音だった。
2時間弱と長くはないが、中身がみっちり詰まっているせいなのか、以外と長く感じた。


9月2日に見に行ったが、全部で6回のうち3回が満席、と入り口の扉に張り紙がしてあった。これが噂の?張り紙か〜初めて見たよ。(結局、公開後2週間くらい?毎回満席だったらしい)
いつもはギリギリ10分前にしか行かないが、今日は混んでるようなので早めに映画館に行ったら「なんじゃこりゃ」と思うほど、ガルパン、シン・ゴジラの時とは比べ物にならないくらいの人がいて、数ヶ月前に自動発券機が3台増設されて計6台になったにもかかわらず、長い列が出来ていた…今までに発券機で並んだ事なんかないよ。並ぶより早いかと思い、カウンターで発券してもらった。
パンフはああやっぱり〜で売り切れ。シン・ゴジラは入荷していたが、3列で長い行列ができていたのでやめた。
始まる直前になっても席はかなりあいていて、ポップコーンとドリンクを持った人が間際にかなり入って来ていて、いつもの「こちらは〜の上映会場です」の挨拶が終わる前に「チャン・チャーン」と始まりの音楽が鳴ったよ。そういえば、スクリーンにはいつも映し出されている「Kic」の文字がなかったな〜

レイトショーだと隣に人が来る事はあまりなく、この列私だけ、とか、さすがに貸し切り状態はなかったけど、5人くらいしかいないとかはあった。周りがざわざわ、なんだか違う映画館にきたみたいだった…
ポップコーンとドリンクを持ってやってくる人は、たまにしか映画見ない人なんじゃないかと思うが、食べたり飲んだりしながらじゃないと楽しめないの?といつも思う…
映画館的にはあれで儲けているんだろうけど。

評価:2b


キング・オブ・エジプト

製作:ベイジル・イヴァニク/アレックス・プロヤス
製作総指揮:ティーヴン・ジョーンズ/トファー・ダウ/ケント・クベナ
脚本:マット・サザマ/バーク・シャープレス
撮影:ピーター・メンジース・Jr
プロダクションデザイン:オーウェン・パターソン
衣装デザイン: リズ・パーマー
編集:リチャード・リーロイド
音楽:マルコ・ベルトラミ

出演
ホルス:ニコライ・コスター=ワルドー    ベック:ブレントン・スウェイツ
トト:チャドウィック・ボーズマン      ハトホル:エロディ・ユン
ザヤ:コートニー・イートン         ウルシュ:ルーファス・シーウェル
セト:ジェラルド・バトラー         ラー:ジェフリー・ラッシュ
イシス:レイチェル・ブレイク        オシリス:ブライアン・ブラウン
ネフティス:エマ・ブース          アナト:アビー・リー
アスタルテ:ヤヤ・デュン

『映画館で<古代エジプト>をアトラクション体験!!』
とうたわれてますが、キンキラキンのエジプトにはあり得ない建造物ばかりだし、主要な登場人物はほとんど白人。女神ネフティスに至っては金髪碧眼で、これがエジプトの神様???とものすごい違和感が…
古代エジプトというよりはスターウォーズに出てくるどこかの惑星の首都のようで、もはやSFでした。監修に吉村先生の名前があったがいったいどこを監修する必要があったのだろう…

ストーリーは、エジプト(もどき)の王であったオシリスが、息子ホルスへ譲位をすることになり、戴冠式に弟である砂漠の王のセトを招待する。セトは自分は砂漠に追いやられ大変な思いをしているのに息子に王位を譲るだと!!許せん!俺と勝負しろ!しないなら殺す!!とお腹をぶっさしました。神様なので金の血が流れ、ここでオシリスの妻(本編中でイシスの名で呼ばれる事はなかったと思う…)とホルスが「血を止めないと!!」とタオルで圧迫止血をしようとするが、死亡。
神様も止血しないと死んじゃうのね…
ホルスが敵を討とうと立ち向かうが歯が立たず、両目をえぐり取られ、父オシリスの墓で引きこもり生活を送り、母イシスは地域を砂漠に変えるほど涙を流したあげく自殺。ベックは恋人ザヤを殺され、生き返らせてもらうようにホルスに頼んだ。ベックはホルスのえぐり取られた目を取り戻してザヤを生き返らせる事が出来るのか!?

とまあ、こんな話ですが、エジプト神話と似て非なる話で構成されてます。
実際の神話はオシリスはセトに棺桶に閉じ込められ、ナイルに流されておそらく溺死、イシスが遺体をエジプトに持ち帰るが、セトにバラバラにされて再びナイルに捨てられました。それをイシスが拾い集めてきて、生き返らせようとするが、体の一部が足りなかったためにかなわず、冥界の王になったということです。このときの最後の逢瀬で身ごもったのがホルス。
また、ホルスはセトに目をえぐり出されますが、それをいやしたのはトト神。
そしてハトホルとネフティスは姉妹です。

戴冠式でオネェのトト神を見て「こいつが治してくれるのか?」と期待してましたが、全然そんな事はなく…神様の中では唯一有色人種でいい味出してましたが、知恵の神様とは思えない言動が。
神の目ってウジャトとかそういうシンボル的なものかと思ったけど、そうでなはく本当にえぐり取られた目、そのもののことだった。

神様は動物に変身できる能力がある、ということだが、この変身した姿がまるで超合金ロボ?牙狼<GARO>?といういでたち。変身ヒーローもの、と言えなくもない。

ハムナプトラのようなものを期待して行くと見事に裏切られます。
神と人間が同じ時代に生きている、というところで駄作ちっくな香りがしましたが、大きいスクリーンで音響がよければなかなか楽しめました。3Dを意識したカメラワークも結構あったので、3Dや4Dだと更に楽しめるのでは。
(3Dではかかってなかったんだよね…何しろ君の名はとゴジラでスクリーンに空きがないようだ)

こそ泥ベックは神様に張るくらい頭の回転が良かったが、この名前もエジプトの名前じゃないよねぇ…




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ホルスの目を探しに宝物庫に忍び込むが、くすねた宝物庫の設計図のパピルスが「こんなんでわかるのか?」というような代物に見えたんだが…
罠も「どんな原理でこれが動いているのか?」という代物だったし、セトを倒すにはピラミッドの中にある、セトの活力の源の砂漠の炎を命の水で消す必要があったが、このピラミッドの巨大な石がガッチャンガッチャン動いていて、陳腐なSFのようだった。

ホルスはおじいちゃんである太陽神ラーに会いに行く、と空高く跳んで行き、なんとそのまま宇宙へ。宇宙に浮かぶ宇宙船のむき出しの甲板に降り立ち、ラーと話をするホルスとベック。確かにラーは「太陽の船」というのを持っていたが、これがそうなのか…ベックは人間なのに、酸素ボンベもヘルメットもなく生きているという不思議。そこから眺める地球は球体ではなく平たく見えたので、地動説でそうなっているのかも。
ラーはアポピスという怪物を倒す仕事をしていたが、このビジュアルが「グインサーガ」のワームを実写化したらこんなんかも」という口だけの怪物でした。

トト神を探しに行く道程は、まるでアマゾンのジャングル。そしてジャングルの中に住処があった。いったいここはどこ?

他の神様からぶんどった体の一部(トト神の脳みそ、ホルスの片目、オシリスの心臓、ネフティスの翼)を自分につけて「超合神」となるセト。一瞬「超合金」に見え、読み返してしまった。
オシリスの見つからなかった1つの臓器を、セトが持っていたと解釈しても、その臓器は男性器であるため、ここも神話とは異なってる。
体の一部としてつける方法が、ヘルメットみたいなものにくっつけていて、まるで合体ロボットものみたいだった。

最後の方で、セトが父であるラーに今までの鬱憤を訴えに行き、結局ブスッとやってしまうわけですが、この理由が
「兄のオシリスはエジプト王となり子どもも儲けているのに、自分は砂漠に追いやられ、子どもも作れない体にされた。愛してくれる人もいない。何でだ!」
これに対してラーが
「オシリスには王としての試練を与えたが、王と言う立場に固執する事なく息子に快く王位を譲った。合格だ。それに比べてお前は…」
みたいなことを言われ、それはあんまりじゃないの?と思った。

最後はご都合主義ぽくハッピーエンド。
ホルスを助けるために刺されて死んだベックもザヤもラーの鶴の一声でよみがえってしまった。
ハトホルが自分の悪魔除けの腕輪をザヤが生き返る事が出来るようにあげててしまったので、冥界に連れ去らてしまっていたが、それを助けに行く、とホルスが言ったところでエンドロールに入ったが、その後何かあるのかとものすごく長いエンドロールを我慢して見たが何もなかった。

セトがホルスにオカマ掘った事件は出てこなかった…残念。

ウヒョーな設定が何も考えずに見ると意外と楽しめたので4点。
爆音ではありませんでしたが、それでもなかなかの音響でした。
(こっちの館で見るの久しぶりかも)

評価:1f


レッドタートル ある島の物語

原作・監督:マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット
脚本:マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット/パスカル・フェラン
プロデューサー:鈴木敏夫/ヴァンサン・マラヴァル
音楽:ローラン・ペレス・デル・マール
アーティスティック・プロデューサー:高畑勲

製作は主にフランス、ジブリはプロデュースだけを行い、カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門で特別賞を受賞した作品。
鈴木敏夫プロデューサーの講演を聞く機会があり、そこで「外国人スタッフだけで映画作りました。レッドタートル見てね」と言われなかったら、見に行かなかったかもしれません。
監督・脚本はオランダ人でその他のスタッフはフランス人が多かったそうです。
ヨーロッパの人は自国以外の言語の違う人たちと仕事をするので、共通言語である英語が話せないと仕事が進まないため、英語を憶えざるを得ないが、たった一つの言語の日本語のみで日常生活に困ることなく暮らせる日本人はすごい、と言っていたそうです。

「ジブリ」の名がついた作品では、久々にいい作品だと思いました。
大声で呼びかける声やうめき声、息づかいなどはありますが、この作品には「言葉」がいっさいありません。
話す必要がない(ある意味話せない?)からだと思います。

ストーリーは、どういう訳だか嵐の中に釣り船のような小舟で海に出て遭難し、無人島にたどり着いた男の人の話です。
おとぎ話、と言えなくもないかもしれません。
あとは、内容は知らないまま見た方がいいです。
81分と短いですが、劇的なストーリーもなく、淡々と進んでいきますので、子どもには向きません。
日本のジブリスタッフは関わってませんので、今までのジブリ作品のつもりで見に行くと、「思っていたのと違う…」となると思います。

映像はシンプルですが、海、特に珊瑚礁内の浅瀬の静かな海や、海中などが本当に美しく描かれています。
浜辺の蟹も愛嬌があってかわいいですが、簡単な線で書かれているのにリアルです。
言葉がない分、音楽と雨や風や波などの色々な音を感じ、後ろや横や、いろいろな方向から音が聞こえました。
なので、音響のいい劇場で見た方がいいです。
(かつてTHXシアターだったgスクリーンが一番音がいいと思ってましたが、キング・オブ・エジプトといい、fもなかなか良いと思いました。最近こっちで見る事なかったからな〜)

映画が終わった後、余韻に浸ると言うか、すぐに席を立ちたくないような感じ。今まであまり気にした事なかったけど、今日は終劇後のライトがゆっくりと点灯していくのが素晴らしいと思いました。

公開1週目なのに、客入りは20人くらいでした。








ネタバレ











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簡単に言うと「SONG OF THE SEA 海のうた」と同じ、異類婚の物語です。
無人島で孤独に過ごす男のところに、亀が人の姿となって現れ子を生します。
以下、あらすじ、最後まで載せています。




瀬戸内海の小島がいっぱいあるようなところならともかく、周りに島も全くないのに、手漕ぎボートサイズの船で嵐にもまれ遭難する主人公。なぜそんな無謀なことをしたのかは全くわからない。
気がつくと浜辺にいた。
そこは水はあるが無人島だった。
岩の割れ目から海に落ち、這い上がることはできなかったため海中の狭い岩の間を何とか通って脱出したり、樽を見つけるがまわしていたら分解してしまったりと苦労の連続だった。
ある日目が覚めると、海の向こうまで続く橋が見つかり、その橋の上を走って渡るっているといつしか体が浮き上がり、宙に浮いて飛んでいた。しかしそれは夢だった。
浜辺では亀の子どもが卵から孵ったり、なついて来た蟹に木の実をあげたりしていた。
島に生えている竹林の竹で筏を作り、脱出を試みるが、珊瑚礁を出てしばらく行くと、何かが筏の下から体当たりしたような衝撃があり、何度かの衝撃のあと、筏は壊れた。海に潜ってみたが、何もいない。
仕方なく島に戻り、今度は少し大きな筏を作ったが、同じことが起こった。
さらに大きな筏を作り海に出ると、大きな赤い亀が筏の後ろに現れた。
衝撃が何度かあり、棒で亀を叩こうとするが、結局筏は壊され、海に放り出された男は亀に襲われると思ったが、亀は男をじっと見た後、いなくなってしまった。
男は島に戻るが体の具合が悪くなり、浜辺で吐いた後、竹林の中で力つきたように倒れてしまう。
ムカデが足の上を這っても起きられなかったが、クラッシックの音楽が浜辺から聞こえて来た。
慌てて浜辺へと急ぐと、そこに弦楽四重奏を奏でるカルテットがいた。
しかし、それは幻聴・幻覚であった。

ある日、赤い亀が浜辺に上がってくるのが見えた。
急いで浜辺へ行き、恨みをはらそうと竹の棒で亀の頭を叩くが、枯れた竹は割れてしまう。
男は怒って亀をひっくり返し、上に乗ってジャンプし、足で踏みつける。
ひっくり返した亀をそのまま放置し、横で新しい筏を作り始め、何日かたったと思われるときに亀の様子を見ると、全く動かない。
男はあわてて竹の筒に海水を汲み、亀の頭にかけ、前足を撫でてみるが、亀は動くことはなかった。
あらためて大変な事をしてしまった、とうなだれる男。
数日、亀を気にしながら生活していたが、亀の横で眠っていると、何かが裂けるような音がして目が覚め、亀を見ると甲羅の腹の部分が割れていた。
再び眠りにつき、朝起きると信じられないことが起きていた。

私は亀は産卵に浜へ上がって来たと思ったので、お腹の中から子ガメが出て来たのかと思いましたが、違いました。

亀の甲羅の中身は長い髪の女の人に変わっていた。
慌てて水を竹筒に汲んで来て飲ませようとしましたが、飲ませられたのかはわからない。
浜の炎天下に寝ているので、竹の葉で屋根のような覆い作り、日陰を作った。
スコールが降って来たりもしましたが、数日間、女はそのままで動かない。
男はあきらめ島の高台に登って行っている間に、その間に女は目をさます。
男が海を見下ろした時、女が海に入っているのに気がつき、慌てて砂浜に戻ると、女は亀の甲羅を海へ流すために海に入っていったのだった。
男は女が裸である事に気がつき、自分の上着をぬいで浜辺に置き、竹林へと一度姿を隠す。
しばらくして浜辺に戻ってくると、女がいない。
男は作りかけの筏を珊瑚礁から海へ流すと、そこへ女がやって来て一緒に泳ぐ。珊瑚礁の上で、貝を割って食べる二人。
男は亀の頭を竹で殴った事を思い出してうなだれる(泣いていたのかも)。女は優しく男の額から顔を撫でてゆく。
二人は島へ戻り、結ばれ、男の子が生まれる。

男の子は2歳くらいの頃から、長時間潜る事ができ泳ぎがとてもうまく、島にやってくる亀たちとも一緒に泳いだりしていた。男が最初に落ちた岩の割れ目に落ちたが、難なく海中を泳いで脱出できた。
男は子供に島にいる自分たち三人、象や別の生き物などの絵を浜の砂に書いて子どもに見せるが、女は自分の姿である亀の絵を一度描いたものを消し、書き直して見せる。
男の子が成長し、15歳くらいになったあるとき、夫婦で珊瑚礁で貝を拾っていると、不思議な音が遠くから聞こえ、顔を上げると珊瑚礁が干上がっていた。
遠くから津波が押し寄せてきて、必死で逃げるが島は津波に襲われる。

津波の音と衝撃がすごかったです。高さは2〜3メートルとかそのくらいでしょうが、ものすごい勢いで島の草木をなぎ倒していきました。
海の彼方で地震があったんでしょうか?

男の子は竹に埋もれた状態で何とか助かった。
母親もほどなく見つかったが、父親である男が見つからない。
海に入り、2匹の亀に導かれるように大進んでいくと、海原で一本の竹に掴まっている男を見つけた。男は力つきる直前だったが、亀と男の子と一緒に島へ戻る事ができた。
枯れた竹を浜辺に集め、火を焚いて燃やす。
島の草木はかなり流されてしまったが、だんだんと緑が回復してくる。
男の子は両親と過ごす時間よりも、海で亀達と過ごす時間の方が長くなっていく。
ある日、男の子は島を出て行く決心をし、亀2匹と一緒に泳いで大海へと旅立つ。

母親が荷物を布っぽいものにくるんで渡し、背負ってましたが、いずれ亀に戻るのであればいらなかったのではないでしょうか・・・
服はアザラシの皮をはいで作っていたようでした。
女は亀の甲羅を海に流してしまったので、もう亀に戻る事はなく、ずっと島で男と暮らすのだと思いました。

無人島で二人の暮らしは続き、浜辺でダンスを踊ったりしていたが、男も女もだんだんと年を取ってくる。
男は白髪になり、足腰もだんだんと弱って来たようだ。
亀は長生きであるため、白髪っぽくなってはいるものの、女は弱ってはいない。
浜辺で二人で横になっている時、男は空を見上げ、何となく満足げな表情をした後、ついに亡くなってしまう。
女ははっと気がつき、男を見たが、既に死んでしまっていた。
その場に崩れ落ちるように伏せる女。
女はしばらく男のそばで過ごしていたが、男の手に重ねた女の手が、人間の手から赤い亀の前足へと変化する。
女は亀の姿に戻り、海へと去っていった。


赤い亀は中盤まで全く姿を現さず、死んだはずなのに女性となり、何十年も一緒に暮らしたのかがちょっとわからない。
筏を何度も壊したのも、面白半分にやったように見えたので、そこまで男に固執する理由があるとは思えなかったのだ。
つじつまが合う説明は、本編中には全く出てこないが、
「赤い亀は、人魚姫のように嵐の海で溺れる主人公を助け、それで恋をし帰したくなかった」
ぐらいしか思いつかん…
しかも、割れてしまった亀の甲羅を海にポイしていたのに、亀に戻ったらちゃんと甲羅があった。
男の子と遊んだりする亀はみんな緑色で、赤い亀は彼女1匹だけでした。

映画を見てから「どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?」のキャッチコピーを見ると、何となくそぐわない感じがしました。

評価:1f


 

 

 


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