ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(3D:RealD)

原作:ヤン・マーテル
監督:アン・リー
製作:アン・リー/デヴィッド・ウォマーク
脚本:デヴィッド・マギー
撮影監督:クラウディオ・ミランダ
美術監督:デヴィッド・グロップマン

出演
パイ・パテル:スラージ・シャルマ
パイ・パテル(成人):イルファン・カーン
ジータ・パテル:タブー
サントッシュ・パテル:アディル・フセイン
アナンディ:シュラヴァンティ・サイナット
カナダ人ライター:レイフ・スポール
貨物船コック:ジェラール・ドパルデュー
ママジ:エリー・アローフ

インドで動物園を経営していたパテル一家は、政府の政策変更により動物園をやめ、ママジ(パイにとってはおじさんなのかと思っていたけど、どうやら父親の親友らしい)の勧めもあって、動物と共に日本船籍の貨物船で海外へ渡航する途中、嵐にあい船が遭難したった一人だけ生き残り、ちいさなボートでオランウータン、ハイエナ、シマウマ、ベンガルトラと漂流することになってしまう・・・

船の沈没はまるでタイタニック。その後はパイ(ノア)の箱船。
日本船籍の貨物船なので、救命ボートに備え付けてある冊子「大海で生き抜くために」が日本語で書かれていたのが笑えます。
リチャード・パーカーという名のベンガルトラは全てCGで本物みたいですが、やっぱり長い漂流の後のくたびれて汚く匂ってきそうな感じはせず、獣の匂いがしないって言うのかなぁ、最後まで「綺麗な」虎でした。
ミーアキャットの島のエピソードだけ、ファンタジーになってしまっていてちょっと違和感を感じる。
虎との別れを選ばなかった、ということなのか、ラストの二択への伏線なのか・・・。

映像はとても美しいです。
鏡のように凪いだ海(外洋でそんなことあるのかと思うけど)、夕焼け、クジラの群れやトビウオの大群など、3Dを想定したカメラワークは良かった。特にトビウオの飛ぶ様子はぶつかってくる勢いで飛び出してくるので、一瞬「(ぶつかって)痛っ!」と思ってしまうほど。

漂流中のパイの生きるための努力は「なるほど・・・」と思わせられるけど、大海原に虎と200日以上一緒に漂流していて、生還できるかというと、ちょっとでき過ぎている気はする。
そして、なぜパイはヒゲが伸びないのかが謎だった。

パイの生い立ちから始まり、伏線が張られていたりして単なるサバイバル映画ではない。
生還してめでたしめでたしで終わらず、ちょっぴり辛口なラストだったけど、結局野生は野生ということなんでしょう。

日本人の調査員はジェームス・サイトウとジュン・ナイトウとなっているけど、ホントに日本人だったのかなぁ。
「水を与えてやれ」とかぼそっと言っていたけど、まぁ普通の日本語だった。

評価:2a


 

王になった男

監督:チュ・チャンミン
脚本:ファン・ジョユン
撮影:イ・テユン
音楽:キム・ジュンソン/モグ

光海/ハソン:イ・ビョンホン
ホ・ギュン:リュ・スンヨン
王妃:ハン・ヒョジュ
チョ内官:チャン・グァン
ト部将:キム・イングォン
サウォル:シム・ウンギョン
パク・チュンソ:キム・ミュンゴン
ユ・ジュンホ(王妃の兄):キム・ハクチュン

実在した李氏朝鮮王朝15代の実在した王、光海君(クァンヘグン)を史実をベースにフィクションをまじえた時代劇。時代的にはチャングムより後で、トンイ、イ・サンの前の時代にあたる。光海君は燕山君と並んで暴君として知られる王で、この二人の王だけ王位を追われ流刑に処されたため諡号がないそうです。

光海君は度重なる毒殺に怯え、自分にうり二つのハソンを捜しだし影武者に仕立てるが、毒を盛られ意識不明に。時々王の身代わりになっていたハソンは、王の替え玉にさせられるが、次第に政治に興味を持ち始め、独断で政務を行うようになっていく。

イ・ビョンホンが生まれも育ちも違う同じ衣装の人物をうまく演じ分けている。
コミカルで、吹きだす場面もしばしば。
宮中に放り込まれ右も左もわからなかったのを、チョ内官の手助けで勉強して知識を得て女官たちに好印象を与えていくところは「プリティ・ウーマン」のホテル支配人を思い出し、素人だからこそ国民のためになる政治を行っていこうとするところは、キムタクのドラマ「CHANGE」を思い出しました。

チョ内官、ト部将の心をつかみ、ホギュンにあそこまでの決意をさせてしまうには、15日は短か過ぎると思うが、ラストは気持ちの良い終わりかたでした。
(一つ間違えればあの世行き、って気もしますけど・・・)

韓国歴史ドラマ(主にNHKのもの)は割と見ますが、訳が見慣れていたものと違っていることが結構あった。「チョ〜ナ〜」は「王様」ではなく「殿下」、水刺間(スラッカン)は「厨房何とか」と意味がわかるようになっていたが、都承旨はそのままだったので、吹き替えで「トスンジを呼べ」だと、韓流歴史ドラマを見てない人はよくわからないかも。
全体的に韓国歴史ドラマよりも、宮廷が広く豪華でした。
どっちがより真実に近いんでしょうか?

評価:2a


 

愛、アムール

監督/脚本:ミヒャエル・ハネケ
製作:マルガレート・メネゴス
製作総指揮:ウーヴェ・ショット

出演
ジョルジュ:ジャン:ルイ・トランティニャン
アンヌ:エマニュエル・リヴァ
エヴァ:イザベル・ユペール
アレクサンドル:アレクサンドル・タロー

カンヌ国際映画祭でパルムドールを、アカデミー賞では外国語映画賞を受賞した作品。
「BGM」が一切なく、老老介護の日々が淡々と綴られていくが、監督は「社会問題を取り上げた訳ではなく、愛の物語。結末をどう感じるかは見る人にゆだねる」とインタビューで語っています。
いわゆる「感動作」ではなく、親も含め今後自分の身に起こるであろう「介護」の現実を突きつけられているようで、親が同じ状況になったら果たして自分はどうするだろうか?ということを考えさせられます。

教え子のコンサートの翌日、ピアノ教師だったアンヌは体調に異変を来たし、手術を受けるが失敗。右半身が麻痺してしまい、車椅子の生活になってしまう。
退院して自宅に戻ると、まず最初に「もう病院に戻さないと約束して」と夫に頼み、ここからジョルジュの老老介護が始まる。

この先ずっと、自分の世話を死ぬまでして欲しいと言う意味になるため、なんと残酷な事を頼むんだろう・・・と思いました。
ジョルジュは男性にしてはきちんと家事をこなしているようで、妻との約束を守るべくかいがいしく妻の世話をやいていたが、アンヌが2度目の発作を起こしてから事態は悪い方向へ・・・

一般的に考えれば、娘に「介護の手助けをしてくれ」と言いそうなものだが、イギリスに住んでいることもあり「手伝ってくれと言うつもりはないし、お互い生活が違うのだから、援助がないことについて責めたりもしない」と言えるのは、フランス人だからなのか、それとも裕福な家庭だからなのだろうか?

後遺症で話すこともままらなず、認知症ぎみになっていく母親に娘は大変ショックを受けていたが、ジョルジュはこの先も改善は難しいことを淡々と受け入れ、介護していく。私は娘の立場だが、両親がこうなってしまった場合、父は同じように母を介護できるんだろうか・・・と思ってしまう。

途中、説明もなく絵画が画面いっぱいに映し出されたり、迷い込んできた鳩がいたり、窓や扉や、何かを象徴しているとは思うのだが、なんだかよくわからないものが結構ある。

子供の頃の、林間学校?のつらい思い出を語りながら、衝撃の結末へと続いていくのだが、話しかけていても「痛い、痛い、痛い・・・」と言い続ける妻をどう思ってあの行動にでたのだろう・・・
冒頭のシーンで結末はわかるのだが、どう解釈していいのか分からない部分が多かった。

評価:2a


 

アンナ・カレーニナ

原作:レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』
監督:ジョー・ライト
製作:ティム・ビーヴァン/ポール・ウェブスター
音楽:ダリオ・マリアネッリ

出演
アンナ・カレーニナ:キーラ・ナイトレイ
アレクセイ・カレーニン:ジュード・ロウ
キティ:アリシア・ヴィキャンデル
ヴロンスキー伯爵:アーロン・テイラー=ジョンソン
オブロンスキー(アンナの兄):マシュー・マクファディン
ドリー(オブロンスキーの妻):ケリー・マクドナルド
ヴロンスカヤ伯爵夫人:オリヴィア・ウィリアムズ
コンスタンティン・リョーヴィン:ドーナル・グリーソン
プリンセス・ベッツィ:ルース・ウィルソン
リディア・イワノヴナ伯爵夫人:エミリー・ワトソン
ソロキナ嬢:カーラ・デルヴィーニュ
セリョージャ(アンナの息子):オスカー・マクマナラ

原作はロシアの文豪トルストイの名作。
舞台の上に作られた道を歩き、扉を開けると全然別の場所に繋がっていたり・・・と、時々演出がものすごく不思議。普通にロケしている場面もあるし。
キーラ・ナイトレイは大変美しかったが、その美しさが他の出演者とは次元が違うというか、アメリカ的?なのか、ちょっと異質な感じがした。
ヴロンスキー役のアーロン・テイラー=ジョンソンは、「キック・アス」に出ていたらしいですが、金髪巻き毛、ブルーアイの、見た目が「優男」的なピッタリの俳優を、よく見つけてきたなぁと感心した。この役に合わせて金髪にしたらしいです。


以下ネタバレあり。








政府高官カレーニンの妻アンナは、兄夫婦のケンカ仲裁のためにモスクワ(当時は田舎だったのね・・・)へ行き、そこで出会った若き将校ヴロンスキーに惹かれるが、不倫の誘いを断りペテルブルグへ帰ってくる。
ところが後を追いかけてきたヴロンスキーと結局不倫の関係になってしまった。二人の関係が周りに知れ渡り始め、夫は忠告をするが「そんなことはない」と否定するアンナ。
しかし競馬場で落馬したヴロンスキーへの態度が度を越していたため不倫は周知の事実となってしまった。アンナはついに夫に不倫を告白するが、カレーニンは「体面さえ守ってくれれば、君の行動には口出ししない」と言う。
一方ヴロンスキーの母親はアンナと引き離すために「僻地に数年駐在し、戻ってきたら昇進」と裏で手を回すが、ヴロンスキーはそれを断る。

アンナは妊娠し「私は彼を愛している。妊娠したしもう彼の妻だ」と夫に告げ、幼い息子と夫を捨てヴロンスキーと蜜月生活を送るが、出産で危篤状態となり、駆けつけた夫とヴロンスキーが病床で鉢合わせ。
「あたしもう死ぬの。だから後よろしくね」と二人の手を取り合わせたアンナに、カレーニンは「子供、ヴロンスキーすべてひっくるめて後のことは全部面倒見るから」と信じられないくらい寛大だ。

快復したアンナは「離婚してヴロンスキーと再婚する」と言い張るが、「離婚をすれば君の社会的地位の復活は望めず、世間から抹殺され死人と同等の生活を送ることになるんだよ。そんな状況に君を置くことになるのがわかっているのに離婚には応じられない。人の道に反する」と夫に説得される。カレーニンがいい人すぎて、何か裏があるのでは??と思ってしまう・・・別になかったけど。

離婚はしてないがヴロンスキーと暮らし体調がよくなったアンナは、オペラに連れてけとヴロンスキーにせがむが、「白い目で見られるだろうから止めた方が・・・」というのに対し「平気よ!」と言って出かけたくせに、「よくこんなところに出てこられたわね。恥知らずが」と来場者全員の前で非難され悔し涙を流しながら帰宅する。
カフェでお茶を飲んでも、周りから白い目で見られるアンナ。そこへ兄嫁ドリーが現れて「あなたの立場になったら、私も同じような行動を取ると思う」と慰め?る。
アンナは妄想と嫉妬で酒と鎮静剤に溺れるようになり、何かにつけヴロンスキーに「私のことなんてもうキライになったんでしょ!別の女のところに行くんでしょ!」とヒステリー。ヴロンスキーは感心するほどの辛抱強さでアンナをなだめるが、アンナの妄想は止まらず、悲観して線路に身を投げ投身自殺してしまった。

数年後、カレーニンは残された2人の子供を引き取って育てている。兄妹は不幸そうに見えなかったから、分け隔てなく育てているんだろう・・・カレーニンはなんていい人なんだ。

すべて自分で蒔いた種で不幸になっているとしか思えないんですが・・・名作ってこういうものなの?というのが率直な感想。
対照的に語られる、リョーヴィンとキティの堅実な地主ぶり。
原作ではうまく対比をなして語られているんだろうが・・・あまり効果的ではない気がする。
本を読めば違う感想になるんだろうか?
でも、「ああ無情」も「吾輩は猫である」も数ページで挫折したので、多分無理です。

「名作」をお手軽に映画で・・・は無理ってことか。

評価:


 

舟を編む

原作:三浦しをん「舟を編む」
監督:石井裕也
脚本:渡辺謙作
撮影:藤澤順一
美術:原田満生
音楽:渡邊崇

出演
馬締光也:松田龍平       林香具矢:宮崎あおい
西岡正志:オダギリジョー    岸辺みどり:黒木華
タケおばさん:渡辺美佐子    三好麗美:池脇千鶴
村越局長:鶴見辰吾       佐々木麗:伊佐山ひろ子
松本千恵:八千草薫       荒木公平:小林薫
松本智佑:加藤剛        宮本慎一郎:宇野祥平
森岡龍:江川          戸川:又吉直樹
小林:斎藤嘉樹         編集者:浪岡一喜
ポスターの女優:麻生久美子

原作は2012年の本屋大賞受賞作。
辞書ってこうやって作るのか・・・
まさか「右」の説明を、辞書を構成する編集者が考えているとは思わなかった。
辞書には「恋」はどう載っているんだろう?と見てみたくなったが、わが家には辞書がないのだった・・・。

10年以上もかけて作っていると、選ばれた言葉が死語になってしまうこともあるのでは・・・と思ったが、そういえば「こんな現代語が遂に辞書に載った」とニュースで言っていた記憶があるので、現代の言葉が辞書に載るということはあまりないのかも。
それにしても、いつもああやってメモしているのかなぁ。大変だ。

馬締のキャラクターがすごくいい。
冷静に考えるとラブレターのくだりなど、こんな人は今どきいるはずないのだが、自然な感じでそう感じさせない。
ただ、終盤の眠さを堪えているところ、重大なミスを犯すんじゃないか?とちょっとハラハラしてしまった。
女性客が大目だったけど、途中で吹きだすようなシーンでは、思いの外「おばさん」的な笑い声が周囲から上がったので、周りの人そんなに熟年の人ばっかりだっけ???と思いました。

麻生久美子はどこに出てたんだろう?と思ったが、ポスターの写真だったのか・・・
そして加藤剛が年取ったなぁと思った。

評価:


 

ニュー・シネマ・パラダイス <新・午前十時の映画祭>

監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
製作:フランコ・クリスタルディ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演
サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(トト)     アルフレード:フィリップ・ノワレ
 少年期:サルヴァトーレ・カシオ        エレナ:アニェーゼ・ナーノ
 青年期:マルコ・レオナルディ         神父:レオポルド・トリエステ
 中年期:ジャック・ペラン           アンナおばさん:イサ・ダニエリ
マリア(母親)                 イグナチオ(劇場の案内人):レオ・グロッタ
 中年期:アントネラ・アッティーリ       広場をうろつく男:ニコラ・ディ・ピント
 壮年期:プペラ・マッジオ
スパッカフィーコ(サッカーくじを当てたナポリ人のパラダイス座支配人):エンツォ・カナヴェイル
鍛冶屋:タノ・チマローサ
エレナ(中年期):ブリジット・フォッセー ※完全版のみ

1989年カンヌ国際映画祭審査員特別賞、アカデミー外国語映画賞を受賞したイタリア映画。
多分、1993年3月6日の『ゴールデン洋画劇場』(フジ)で見て以来だと思うが、最近見た映画よりも話の筋をちゃんと覚えているのはなぜだろう?

この映画はいくつかのバージョンがあるそうだが、今回の作品は海外公開用に編集された124分のもので、フジの地上波初放送は、2館で絆の同時上映をトトが提案したり、ボッチャのフィルム運びの下りなどを見た記憶があるので、もう少し長い尺のものだったと思う。

この当時(1950〜60年)、映画は村の唯一の娯楽で、老若男女が笑ったりブーイング、ヤジを飛ばしたり、自由に思う存分に映画を楽しんでいた。
常日頃「うるさくしないで!!」と思いながら見ている私は、「こんな楽しみ方が本来の映画なのかなぁ」と思いつつも、やっぱり映画館では静かに集中して見たいと思うのだった。

ストーリーは知っているので、くるぞ、くるぞ、という感じで最後のシーンなどは上映が始まる前からうるうるしてしまった。
王女と兵士の100日日参の話は、小野小町と深草の少将と同じだなぁと思った。こういう話は世界共通なんだろうか?ちなみに深草の少将は最後の夜に病と大雪で凍死してしまったらしいが…

ただ、カットされているため意味がよく分からなかったところがある。
・「絆」2館同時上映のためのフィルム運搬の下り
  ※フジの放映とセリフ自体が異なっているところがいくつかあり、声は全てアフレコだそうで、尺に会わせてセリフを変えているらしい
・エレナとの手紙のやり取り(早く夏が終わらないかなのくだり)
・パラダイス座爆破時に一瞬挿入される横顔の女性
・トトが映写技師に「つなぎをチェックして映写してくれ」と話しかけた時の映写技師の「新作いいですね」という答え
・エンドロールで本編には出てこなかった画像(監督となったトトがバールのような所にいるカット、中年の女性のアップ)

数年前にNHKで放送した「完全版」を録画していたのを思い出し(録っただけで見てないのであった)、比べてみたら…

124分ものは、主にアフルレードとトトの映画を介した友情の物語で、恋に破れたトトを大きな世界へと送り出し、遺品を見る事によってアルフレードのトトへの愛情をより感じる作品となっている。
しかし、完全版では後日談が語られ、まったく別なストーリーになってしまっていた。

アルフレードの葬儀で帰郷し、当時の彼女と瓜二つの女性を見かけ、その母である初恋の相手と再会するトト。彼女の口から約束の期日に会いに行けなかった理由が語られ、アルフレードがトトとエレナの再会を阻んでいたことを知る。
エレナはボッチャと結婚し、幸せだという。トトはエレナとの未来を望むが、エレナはトトとの関係は自分に取って過去のもので、一夜の逢瀬ですばらしい幕引きが出来た、もう会わないと言われ、トトはローマに戻って行く。

スタッフから新作が評価され賞をもらった事を聞かされるが、トトは一人アルフレードが残したキスシーンのフィルムを見る。
アルフレードの行動を知ると知らないとでは、アルフレードの「この村の事は忘れるんだ」発言や、最後のキスシーンのフィルムをどういう気持ちで見るかがかなり異なってくる。

トトが兵役に行く前に、意味ありげに納品書?を壁に貼付けたカットも、エレナがアルフレードには内緒で連絡先を残したメモを、気づかないまま隠してしまうという、伏線になっていたのだ。

顛末を作った事を知った後では、キスシーンのフィルムではちょっと泣けなかった…

評価:


 

オブリビオン

原作:ジョセフ・コシンスキー/アーヴィッド・ネルソン
監督:ジョセフ・コシンスキー
脚本:ジョセフ・コシンスキー/カール・ガイダシェク/マイケル・アーント
製作:ジョセフ・コシンスキー/ピーター・チャーニン/ディラン・クラーク

出演
ジャック・ハーパー:トム・クルーズ
マルコム・ビーチ:モーガン・フリーマン
ジュリア・ルサコヴァ:オルガ・キュリレンコ
ヴィクトリア・オルセン:アンドレア・ライズボロー
サイクス軍曹:ニコライ・コスター=ワルドー
サリー:メリッサ・レオ
カラ:ゾーイ・ベル

oblivionとは「忘却」という意味だが、「忘却」というよりは「刻まれた記憶」っていう感じだった。
「トロン・レガシー」は見ていないが、乗り物がそっくり。
映像はとても美しく、こんな何にもない砂ばかりの地域がこの地球上のどこに?と思ったが、アイスランドでロケしたらしい。
しかし、エンパイア・ステートビルから自由の女神方向を眺めると、遠くに山並みっていうのはかなり違和感があった…。

ストーリーは途中から何となく「ああやっぱり」と先が読めてしまうが、結構楽しめた。

途中でコールドスリープ中の飛行士が乗った宇宙船が落っこちて来るが、2017年に地球を出発した計算になる。
あと4年でそこまで技術が進歩するとは思えないんですが。
エキストラ以外の出演者が極端に少ないので、ギャラはかからなかったかも。


以下、ネタバレ















クローンって、DNAから受精卵を作り出し、十月十日で新生児が生まれ、同じDNAを持った人間が育って行く、という事だと思うのだが、いきなりファイルをコピーするみたいに同じ記憶まで持った同じ年の人間をぽんと作り出せるものなんでしょうか?
宇宙人だから出来る技術なんですかね?
宇宙人については姿形や目的も結局わからなかったし…まさか機械ってことはないだろうけど(だったらターミネーターだよ)「理由はともかく地球を蹂躙した謎の何か」という存在だけが必要だったんでしょうか。

最後の52号は…「同じ人」と思えるのかなぁ。
あの子はコールドスリープ前に出来た子なのか、墜落した後に出来た子なのか…
ジュリアは「妻」と言っていたが、コールドスリープの装置には「ルサコーヴァ」と旧姓が書かれていたってことは正式に結婚はしていなかったのでは?
というようなツッコミは満載でしたが、それなりに楽しめました。

評価:


 

リアル〜完全なる首長竜の日〜

原作:乾緑郎「完全なる首長竜の日」(宝島社)
監督:黒沢清
製作総指揮:田代秀樹
製作:下田淳行
脚本:黒沢清/田中幸子
撮影:芦澤明子
美術:清水剛
音楽:羽岡佳

出演
藤田浩一:佐藤健
和敦美:綾瀬はるか
相原栄子:中谷美紀
沢野:オダギリジョー
米村:堀部圭亮
高木真悟:染谷将太
真紀子:小泉今日子
晴彦:重松豊

第9回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作品の映画化した作品。
原作は読んでいないが、どうやら設定・ストーリーなど原作とかなり違っているらしい。
天気の悪い日の夜だったせいなのか、公開一週目なのに観客が私を含め6人だったという…

自殺未遂で昏睡状態になった漫画家、和淳美の意識下に「センシング」という技術でコンタクトを取る幼なじみで恋人でもある浩一。
自殺の理由を尋ねるが彼女は「子供の頃に浩一にあげた首長竜の絵は、完璧に描けていたから、あの絵をもう一度見れば、私、漫画家としての自信を取り戻せると思うの。あの絵を探してきて」と言う。
浩市は絵を探して思い出のある場所を訪ね歩くが・・・。

序盤は謎だらけで、どう話が進んで行くんだろう?と期待しながら見ていたのだが、中盤で最初の謎が解かれたところで何となく感じていた予感が当たり、そこから先は話が見えてきてしまった。
謎も何かの映画で使われていたエピソードが並んでいる感じで、新鮮味はない。
全ての謎が解かれた後のストーリーは「ここまでする必要あるんだろうか?」というものすごい演出。
前半と後半では、ストーリーもジャンルも全く別の映画みたい。

役的には下心などないのだろうが、中谷美紀の演じる医者は何か別の目的があるように見えてしまう。
堀部圭亮は脳外科医らしいが、大河ドラマでお公家さんを演じていたりと、立派な役をもらうようになったんだなぁと思って見ていた・・・。
途中、車を運転するカットがあるが、車の外はすべてチープなCGだったのは、暗示しているという事なのか?




以下、ネタバレ















 ↓

 ↓

意識下へダイブ、という意味で「インセプション」を連想した人が多いみたいでしたが、私は「自分がその立場にあるとは全く理解しておらず、実は自分が相手と同じ立場だった」という意味で「シックス・センス」を思い出し、「三途の川を渡りかけている人の意識下に接触し、この世に呼び戻す」という意味で「フラットライナーズ」を思い出しました。
「楽になった。ありがとう」で旅立てたら、好きな人に看取られ後悔のない人生だったと言えたのだろうか?
しかし「今なら間に合います、行かせてください!」でそのままセンシングさせてしまう医者も医者だし、生き返ってしまうところが非現実的すぎる。

首長竜のせいにして記憶を封印し、全く思い出さずにいられる、というのはあり得るのだろうか?
生きて行けないくらい辛い記憶ならあり得るのかもしれないが、あの状況は見殺しにしたというよりは不可抗力だったと思うのだが…
島の警察官の対応も何だか変。

タツノオトシゴを首長竜に見立てるのは無理があると思うが、それを手に入れたら引き下がるっていうのはちょっと安易すぎないか?
そして「完全なる首長竜の日」の意味が未だによくわからない。

評価:


 

華麗なるギャツビー

原作:F・スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」
監督/製作/脚本:バズ・ラーマン
脚本:クレイグ・ピアース
音楽総監修/共同製作:アントン・モンステッド
製作/衣装/美術:キャサリン・マーティン

出演
ジェイ・ギャツビー:レオナルド・ディカプリオ
ニック・キャラウェイ:トビー・マグワイア
デイジー・ブキャナン:キャリー・マリガン
マートル・ウィルソン:アイラ・フィッシャー
ジョーダン・ベイカー:エリザベス・デビッキ
トム・ブキャナン:ジョエル・エドガートン

原作はアメリカ文学を代表する作品らしい。
アンナ・カレーニナよりは文学ぽかった。

貧しい境遇が、誰彼かまわず招待するような華麗なパーティーを開くまでになるという、信じがたい大成功の様子は、かつて一世を風靡したシドニィ・シェルダンの小説のよう。貧しかったのが次の登場では謎の大富豪になっているので、いったいどうやったらそんなに成功できるのか、謎だ。
2Dで見たけど、3Dを意識したカメラワーク。ほとんどCG合成の映像はとてもきれいだ。
序盤はチャールストンやガーシュウィンなど古き良き時代の音楽がミュージカル風に流れて楽しい。
超高級そうな(現代では)クラシックカーでのカーチェースは、車に傷がつきそうではらはらした。

トビー・マグワイアはウザくてややイライラするが、不思議な声のキャリー・マリガンは上品な感じで良かった。
クール・ビューティのエリザベス・デビッキも、あまりアメリカ映画では出てこないタイプのような感じがして、ちょっと新鮮だった。
ニックは精神を病んだんですかね?それとも結核とか?

トレーラー、キャッチコピーであおられている「なぜ彼は…」の秘密的な部分は、それほど大層な事でもなく…と思うのは、時代が違うから?
気を引く?にしても、もうちょっと即効性のある方法を選んだ方がいいのでは…と思ってしまうのだった。

評価:


 

劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日

監督・脚本:中尾浩之
製作総指揮:小竹里美
製作:中祖眞一郎/加藤雅巳/佐藤寿美/池内裕啓/松下剛/平賀大介
撮影:小川ミキ
美術:吉田透
音楽:戸田信子

出演
沢嶋雄一:要潤        細野ヒカリ:夏帆
古橋ミナミ:杏        一ノ瀬忠文:宇津井健
谷崎勉:カンニング竹山    矢島権之助:時任三郎
島井宗叱:上島竜兵      伴山三郎兵衛:嶋田久作
志乃:小島聖         与平:兄者
伍作:小林和寿        又吉:川さき祐樹(さきは山かんむりに奇)

NHKで放送された、第5シーリーズの最終回「村を守れ!投石バトル」から数年後、安土城が焼け落ちた謎に迫るというストーリー。
いつもはタイムスクープ社の人間は、沢嶋と古橋しか出てこないのだが、部長や局長などその他の社員が初めて出演。
しかし夏帆のキャラクターは、いかにも、って感じでイマイチ。
宇津井健は年取った。
古橋ミナミはいつもは青と黒の制服というか、沢嶋と同じような服装なのに、今回はいかつい肩パットの黒のスーツだった。

いつもは30分でコンパクトにまとまっている所が、ちょっとずつ長くなり、「この時代の人々に取って私はいわば宇宙人のような存在です。」の口上もいつもよりも少し長め。冒頭の部分はドキュメンタリーというには細切れすぎてもたついた感じ。
今回は記録を取るだけではなく、自分たちが関わった事で歴史が変わってしまった場合、過去や未来に飛んでなんとかしてつじつまを合わせるという「歴史修復」とやらを行っているのだが、川に落ちてどこかへ行ってしまった茶道具を、未来から失敬してきてすり替える、というのは、同時代に結果的に2個存在する事になり、非常にまずいのではないかと思われるが・・・パラドックスにならないの?

トラブルに巻き込まれて出会った与平たちとは、以前に会っているはずなのに、沢嶋は全然覚えていないようだし。
第5シリーズで切られた与平の傷は、痕にはなっていたけど癒えていた。

TVシリーズは本当にジャーナリズムに徹した、という作りだったけど、映画はエンターテイメント色が強い感じ。
弓矢の音は迫力があったけど。

安土城のCGは自然に作られていて、大変すばらしい。
特殊カメラはいつも使っているモスキートタイプではなく、スパイダータイプ。飛ぶ方が何かと便利そうだけど、なんで地を這うタイプにしたんだろう?
結局、最後の1日は嘘ではないが、全然謎に迫っていることもなかった。
それにしても最後のカメラ5の映像は何が映っていたんだろう…。

公開1週目にもかかわらず、5人しか入っていなかった…。

評価:


 

劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

原作:超平和バスターズ
監督:長井龍雪
脚本:岡田麻里
キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀
音楽:REMEDIOS
アニメーション制作:A-1 Pictures

出演
宿海仁太(じんたん):入野自由/田村睦心(幼少)
本間芽衣子(めんま):茅野愛衣
安城鳴子(あなる):戸松遥
松雪集(ゆきあつ):櫻井孝宏/瀬戸麻沙美(幼少)
鶴見知利子(つるこ):早見沙織
久川鉄道(ぽっぽ):近藤孝行/豊崎愛生(幼少)
宿海篤:小形満
宿海塔子:大原さやか
本間イレーヌ:大浦冬華
本間聡史:水原薫

20011年4月からフジテレビ・ノイタミナ枠で1クール放送されたアニメの続編…というよりは総集編。
5年前に水の事故で亡くなった幼なじみが現れ、疎遠になっていた仲間たちとの絆や関係を見つめ直す…というようなストーリー。

テレビシリーズの映像を交えながら幼い頃のエピソードを挿入しつつ登場人物たちの一年後の様子を描く、というスタイルだが、テレビシリーズを見ていないと、よくわからない部分(「あのときゆきあつ変だったし」とかめんまのお母さんが「お線香あげに来てもらって」と言った事とか)が多いのではないかと思う。
その後のみんなの様子がわかる所は楽しかったが、テレビシリーズは11話で完結しその後のストーリーなど作れる終わり方ではなかったので、その後を描くって??と思っていたけど、やっぱりテレビシリーズを越えられる出来ではなかった…。

放映の2年くらい前に仕事で秩父に行く機会があり、秩父神社・西武秩父駅や彼らと同じ電車には何度も乗っていたため、「そうそう、こんなんだった!」と思いながら見ていた。
しかし、秩父17番定林寺、旧秩父橋は行った事ありません。

公開1週目に行ったらかなり盛況で、さすがに前5列くらいは空いていたがその後は全て満席状態。
久しぶりに左右にビッチリ人がいる状態で見た。










↓↓ネタバレ



















あなるは相変わらずだったけど、ゆきあつとつるこはやわらかくなって二人の関係はちょっと変化したみたいだし、じんたんはちょっとだけ前向きになった。そういえばぽっぽがいつも首から下げていたお守りのような小袋、中身を気にした事なかったな。

話が時系列で進んでいないため、なんだか細切れというかブツ切れという印象で、11話であなるが「あやまる!」と言ったカットはその前のみんなの苦悩がすっぱりカットされていたので、唐突な感じ。
ゆきあつも手紙を書きながら「パッチンありがと。ごめんね」で「信じられた」と回想しているが、実際はめんまが日記にメッセージを書くまで本当に信じてなかったし。

めんまの存在を信じられるようになった後、それぞれの想いと自己都合でめんまの成仏を望み、花火を飛ばしたあとめんまが消えなかったことで悩むところとか、めんまを妬ましく思う気持ちを子供のころも少なからず持っていたことをめんまが知って怒っていないのかとか、もっとめんまの事を考えてあげなきゃとか、そういうプロセスを経て、めんまからの手紙をもらってみんなでさよならする、というストーリー構成が無視されたような形になってしまっていてちょっと残念だった。

まぁ、実際には8話でめんまのお願いは叶ってしまっていたので、みんながどう思って花火を飛ばそうと、結局消えてしまう事には変わりないけど。
個人的には、10話の「さーくん呼んでくれたんだ…」や龍勢の導火線に火がついてsecret baseが流れるところが好きでした。

小説版では少し触れられていたらしいが、ゆきあつ・じんたん二人から好意を寄せられていて、「めんまにはかなわない」とつるこにも言われていためんまが、学校で仲間はずれにされれいたのいうのはちょっと意外。クオーターであることが原因らしいが、「のけもんとめんまは同じ」と言われても、たしか「のけもん」は「のけぞりモンスター」の略だったはず。
じんたんがめんまを連れに行き、ちからなく床に倒れているところ、のけもんに掛けているんだろうが「めんまはいない方がいいの」というところは蛇足かな〜。

花火があがるところはともかく、1話のめんまがじんたんの上に座って「お箸〜」と騒いでひっくり返るじんたんと、最終話の「じんたんの笑った顔が好き」でじんたんの顔から落ちて行くめんまの手のカットだけ3コマ打ちじゃなくフルアニメーションで、なぜか力が入っている…

花火のカット、最後のかくれんぼのカットは多少描き直しているようだ。しかし、テレビシリーズが本当に脚本・構成ともにこれ以上ないくらいすばらしく作られていたので、それに比べると劇場版は不必要に引き延ばされおまけにバックに流れるsecret baseの音が大きくちょっとうるさかった。

ところで、秘密基地の電気代は誰が払っているんだろう?ぽっぽか?
もともと電気が通っていたとは思えないんだけど。

  西武秩父駅のあの花ギャラリーの様子はこちら

評価:


 

風立ちぬ

原作/脚本/監督:宮崎駿
製作:鈴木敏夫
撮影:奥井敦
美術:武重洋二
音楽:久石譲

声の出演
堀越二郎:庵野秀明          里見菜穂子:瀧本美織
本庄:西島秀俊            黒川:西村雅彦
里見(菜穂子の父):風間杜夫     カストルプ:スティーブン・アルパート
二郎の母:竹下景子          堀越加代:志田未来
服部:國村隼             黒川夫人:大竹しのぶ
カプローニ伯爵:野村萬斎

今までの宮崎作品はすべてストーリーがあるものだったが、この作品は出来事だけが淡々と綴られた伝記のような形で話が進み、しかも所々に主人公の夢想が唐突に差し込まれているため、細切れな印象。
場面の説明が一切ないので、かなり忘れた近代史を思い出しつつ、前後のシーンから今どこで、何をしているかを推測する必要がある。
ラストシーンも(考えて)理解する、という感じなので、子供は理解できないんじゃないかな。

関東大震災がすごい演出で描かれているが、東日本大震災があって、ほんとにあんな感じだったのかも…。
津波が襲ってくるかと思ったが、そんな事もなく、電車が走行中にあんなに地面が揺れて、脱線もせず重体の死傷者が出ないなんて…と少し現実味がなかった。

庵野秀明は第一声はんん〜?だったけど、淡々と話す所がなんとなく二郎の育ちの良さを感じさせ、意外と合っていると思った。
菜穂子の瀧本美織はなかなかうまい。なぜか菜穂子の髪は、ナウシカ(父様を殺されて髪が逆立つ)やランカ(ゼントランだから)のように、勝手に生き物のように動くのだった。
二郎と菜穂子のラブラブな感じは、戦前の人も二人きりだとあんな感じになるものなのか?とちょっと違和感を覚えた。
別れは覚悟を決めてあっさり…だったけど。あんなに一緒にいたい、と思って家を飛び出して来たのに、そんなにスッパリ終わりに出来るものなの?

川の上を飛行する時の土手等はさすがにCGでマッピングしていたが、汽車など昔の999よろしく全て手書き。モブシーンが多いが、小さい人物も7割くらい動かしている。背動も何カットかあり、作画に対する執念がすごいと思った。

キャッチコピーが「生きねば。」だったので、どん底に突き落とされても必死で這い上がって生きる、という感じの映画なのかと思ったけど、「限りある短い今を一生懸命生きる」ということなんだと私は思った。

この作品が、宮崎駿監督の最後の長編アニメーション作品となったわけだが、ナウシカやラピュタのような冒険活劇をもう一回見たかった。
今後ジブリは下請けプロダクションになってしまいそうだ。

評価:


 

そして父になる

監督/脚本/編集:是枝裕和

出演
野々宮良多:福山雅治
野々宮みどり:尾野真千子
斎木ゆかり:真木よう子
斎木雄大:リリー・フランキー
野々宮慶多:二宮慶多
斎木琉晴:黄升?
石関里子:樹木希林
野々宮良輔:夏八木勲

カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作品。
6歳になる息子が出生時に子供が取り違えられた事がわかり、血のつながりを選んで実の息子を手元に引き取るのか、それとも一緒に過ごした6年間を取り今までの生活を続けて行くのか…の選択を迫られるというストーリー。











以下、ネタバレあり。

















 ↓
 ↓


野々宮良多はエリート会社員で家は都会の高層マンション、一人息子の慶多は表で遊ぶ事もあまりなく、母親にべったり。
反対に斎木雄大はがさつでがめつくていい加減そうに見えるが、3人兄妹の長男の琉晴は兄妹の面倒をみたりしてしっかりしている。
兄妹がいる生活から、高層マンションに閉じ込められたような状態で、話し相手は血がつながっているとはいえ、知らないおばさんのような母親だけ。結局やることもなく時間までゲーム。こんな生活に交換されたら、つまらないだろうなぁ、と思った。
斎木家に引き取られても、慶多はそれなりに幸せに暮らせるだろうけど…

子供の頃、親なしで親戚の家に泊まったりしたが、年に数回顔を合わせているような関係であっても、母親と同じように何でも話せる訳じゃないし、子供心にもやっぱり遠慮はしてしまうものだったので、もし血のつながりを選択して今まで育った所とは違う所で生きて行くことになったら、それはものすごく生きにくいのではないか?と思った。

今まで育てていた子供が実の子ではない事を知り「やっぱりそういうことだったのか」と野々宮良多は言ったが、もし実の子を引取りその子が自分の理想通りに育たなかったら、「やっぱり血よりも環境だ」と言いそうな感じだった。野々宮良多は裕福な家で育った訳ではなかったし、それを隠してエリートを演じているようで、そういう自分を否定して子供に期待するって、どうなの?と思ってしまうのだった。
最終的には、自分のダメな所を認めて、子供に話してましたが…

関係ないけど、我が社の社長は若い頃福山雅治みたいだったそうで、こんなに長時間福山雅治の顔を見ていたら、確かにこの後年を取って行くと、社長のようになるのかもしれない…と思いながら見ていました。

評価:


 

ゼロ・グラビティ(3D:RealD)

監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン/ホナス・キュアロン
音楽:スティーヴン・プライス
撮影:エマニュエル・ルベツキ
製作:アルフォンソ・キュアロン/デヴィッド・ハイマン
製作総指揮:スティーヴン・ジョーンズ

出演
ライアン・ストーン:サンドラ・ブロック(深見梨加)
マット・コワルスキー:ジョージ・クルーニー(小山力也)
ミッション・コントロール(声のみ):エド・ハリス(岩崎ひろし)
アニンガ(声のみ):オルト・イグナチウッセン
シャリフ(声のみ):ファルダット・シャーマ(河本邦弘)
シャトル船長(声のみ):エイミー・ウォレン(合田絵利)
ISS船長(声のみ):バシャール・サヴェージ(宮本崇弘)

「アバターをしのぐ3D体験」ということで見に行きました。
「アバター」と同じく3Dを楽しむための映画で、ストーリーは先が読めるしベタな展開ですが、なるべく音響の良い3Dシアターで見るのがおすすめです。
久しぶりに音響も臨場感あふれる感じで、腹の底まで響きました。

ストーリーは、ロシアが廃棄のために行った人工衛星の破壊に失敗し、衛星の破片が船外活動をしていたアメリカの宇宙飛行士に向けて飛んでくる。90分で地球を一周する破片群を避けながら、無事に地球へ帰り着けるか…といったもの。
91分と映画としてはかなり短いですが、最初から最後まで危機的状況が続くので、緊張しっぱなし。
どこで命を落とすかわからない所が「エイリアン2」に匹敵するくらい体がこわばる。

3Dはすごく自然で、実験室「きぼう」のある国際宇宙ステーション(ISS)など見覚えのある現代のテクノロジーしか出てこず、主人公の近くにカメラが設置されていて撮影されている事が多く、水滴がカメラにぶつかる演出があるなど、ドキュメンタリーのような感じもする。
衛星の破片群が自分に向けてすっ飛んでくるので、思わずよけてしまったが、多分間に合わなくてシャリフのように頭に穴があいたと思われる。

宇宙空間はCGのはずだが、本当に宇宙にいるようで、宇宙ステーションの中を移動する様子はテレビ中継で見たのと本当に同じ。
いったいどうやって撮影したんだろう!?

主人公のライアンは医療技師という設定で、プロの宇宙飛行士ではないらしい。そのせいか、うかつな行動が多く、それで危機を招く事も…
船内で火花が散ったら非常にまずいことくらい、わからないものなのかなぁ。
精神面でもやる前から「無理よ、やったことないもの、出来ないに決まっている」というマイナス思考。こういう人は宇宙飛行士として選ばれないんじゃないか?




以下、ネタバレ






















ロシアのせいでISSは木っ端微塵に爆発、その他の衛星も…という設定でロシアからクレームは来ないものなんだろうか?
実際にこんな事が起こったら、賠償責任は?賠償できる規模でもないけど…

ああいう状況でパニックに陥るな、と言われても無理だろうし、動き辛い宇宙服で「必ずつかめ」と言われても、大変でしょう。
私は絶対、生き残れないと思った。

途中でコワルスキーが現れるエピソードは出来過ぎだが、座席の下に本当にウォッカが隠してあったら…すごいね。

結局、中国の宇宙ステーションに残されていた帰還用ポッドで帰ってくる訳だが、中国製品で安全性は大丈夫なのか?と火花を散らす機器を見ながら心配になってしまった。

評価:


 

 

 

 


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